中国とアフリカ 「ネオ植民地主義」か「非西欧によるアフリカ独立の支援」か (その2)
(その1)では、主に中華人民共和国建国直後から改革開放の直前期までの「中国とアフリカ関係」をみました。
今回は、改革開放後、90年代の末から2000年代の「中国とアフリカの関係」を追っていきます。
新時代の幕開け
朱鎔基首相と江沢民国家主席は95年と96年にアフリカを訪問し、政府の新しいアジェンンダを明らかにしました。アフリカ連合本部で江沢民は「中国・アフリカ協力フォーラム」の創設を提案し、6年間の準備期間を経て2006年に北京で発足しました。その後、このフォーラムでは、アフリカへの援助、アフリカからの留学生の受け入れ等々が提唱され、一部は着実に実行され、中国とアフリカの関係はとても良好になります。
また、2006年、胡錦濤国家主席もアフリカ諸国を歴訪します。温家宝首相はこのとき、中国・アフリカ間の貿易を2010年までに倍増させると表明しました。ほかにも中国は、3年間のアフリカ支援倍増、中国企業のアフリカ投資促進を目的とする50億ドル規模の「中国アフリカ開発基金」を設立。後発発展途上国から中国への無関税品目を190から440以上へ拡大すること、今後3年間で借款30億ドルとバイヤーズ・クレジット20億ドルを給与すること、05年以前に返済期限を迎えた無利子債務の帳消し、今後3年間でアフリカ人専門家1万5000人に研修を行うこと、中国人農業専門家100人のアフリカ派遣、30の病院建設、100の学校建設、中国政府奨学金アフリカ人学生枠の4000名への倍増を約束しました。
会議中にはエジプトのアルミ工場建設、ザンビアの銅開発プロジェクト、南アフリカの鉱山開発をはじめとする大規模契約が結ばれました。その後これらの目標は実現します。
貿易も、95年に50億ドル未満だったのが、2000年~2008年の間に10億6000万から1068億4000万ドルへと10倍に拡大し2010年には1270億ドルに達します。貿易拡大は主にアフリカの潤沢な原油や鉱物の備蓄によります。石油企業の輸出が、アフリカの対中輸出の実に8割を占めます(アンゴラだけで中国の原油輸入の37%をまかなっている)。サハラ以南のアフリカでは2005年から2010年の間に中国の対外投資先の13.8%を占め、欧米を上回りました。2005年~07年の3年間、世界銀行の対アフリカ支援・融資は174億ドルにのぼりましたが、中国輸出入銀行の融資は160億ドル近いと推定されます。
貿易が増えれば、自ずと人の移動も活発化し、 アフリカ在住の人の割合も急増しています。2001年には推定13万7000人だったが、07年には40万人以上に増えました。しかし、実際にはこの数を大きく上回るといわれています。現在、アフリカ在住の中国人は50万人以上と言われています。2011年のリビア内戦に際し、中国政府がリビアに3万5000人の自国民がいる事を明らかにしました。
現在進行中の中国人アフリカ移民は19世紀後半や1950~60のモノとは大きく異なります。特徴としてえ移住者の出身地が中国全土に行きわたり、個人の背景も様々です。中国の不自由さに嘆き、アフリカでのチャンスを夢見て、アフリカで新しいビジネスを立ち上げ、一旗揚げようとしている人も多数います。そして、それが口コミなどで広がり、また人を呼びます※。そのため多くが定住の意思を持っている事が挙げられます。ナミビアのオシカンゴでは1999年に初の中国系商店がオープンし、その数は2004年には22店、06年には75店にのぼりました。
支援・平和維持活動
中国は開発援助の約束も着実に実行しています。マラリア対策や公共衛生分野、高等教育、農業支援などにおいては、称賛できます。また、アフリカでは900件の対外援助を完了し、鉄道2233キロを敷設。高速道路3391キロを整備し、42の競技場と54の病院を建設し、中国の医療保健従事者1万8000人や技術者35万人を派遣し、様々な分野のアフリカ人3万人強を訓練し、公的資金からアフリカの学生に3万4000件の奨学金を提供してきました。これは「豊かになるには、まず道路を作れ」という中国の開放政策直後の考えをそのままアフリカに応用したと考えられます。因みにこの言葉には続きがあり「子供を産む代わりに樹を植えろ」と続きます。
他にもアフリカにおける中国の存在を示すものとして、PKO参加人数の増加があります。2002年には中国人PKO要員は全世界で110名しかいませんでしたが、06年には1271名に増えました。その内、80%がアフリカへの派遣です。2009年以降は、ソマリア対策でも重要な役割を果たすようになりました。全体の拠出金も増えています。
中国のアフリカへの貢献
これまでの所、中国がアフリカにもたらした、プラス効果は非常に大きいです。
第一に、アフリカ諸国の多くが資源輸出国であり、中国は、その資源の需要と価格を引き上げた点に大きく貢献しています。1990年~2001年のサハラ以南アフリカ諸国のGDP伸び率は平均で2,6%だった。これに対して2001年から04年は4.4%、05年から06年は5%から6%、07年は7%と上昇を続け、10年は4.7%を記録しました。1998年以来の世界的消費拡大は中国需要によるモノが大きいため、アフリカ諸国GDP拡大への中国への貢献はやはり大きく、無視できません。加えて低価格の中国製のアパレルや電化製品などの製品が手に入りやすくなったため、アフリカの一般消費者の生活環境の改善にも一定の影響をもたらしました。
第二に、中国という新たな貿易・援助・投資相手国を得て、アフリカ諸国に競争環境が生まれ、欧米諸国やIMF・世界銀行に頼るばかりではなくなりました。2007年、アンゴラはIMFとの融資協議を取りやめ、中国の融資を受け入れました。
第三に中国の援助は欧米諸国・機関の援助と比べて付帯条件が少ないです。IMF・世界銀行は欧米流のイデオロギーにもとづいて貿易自由化、民営化、民主化、人権問題の解消、小さな政府を要求します。しかし、中国は良くも悪くもこれらの条件を課さずに、アフリカを支援します。2006年4月、ナイジェリアの国会演説で胡錦濤は「中国は、アフリカ諸国が独立と主権を守り、各国の国情に応じて発展経路を選択するという願いを断固として支持する」と述べました。
今回は、2000年代前半の中国のアフリカへの関与を主に引用しました。次回は、中国のアフリカ関与による様々なトラブルやマイナス面を、中国人のミクロな視点も交えて纏めてみたいと思います。
今回、引用したのは以下の書籍です。
中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える (朝日選書)
- 作者: デイビッド・シャンボー,加藤祐子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2015/06/10
- メディア: 単行本
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P149~P150 P269
中国が世界をリードするとき・下: 西洋世界の終焉と新たなグローバル秩序の始まり
- 作者: マーティン・ジェイクス,松下幸子
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2014/03/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
P79~94
※下記からは一部参考にしました
中国のPKOに関しては以下でも参考にできます。
外交 Vol. 10 | 外交WEB に掲載されている文章が以下から読めます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol10/pdfs/gaikou_vol10_10.pdf