新疆をぶち壊す漢人はどういう人でどこから来ているのか?
新疆ウイグル自治区に行ってました。
2018年の7月18日から22日まで新疆ウイグル自治区に行ってました。昨今色々と話題な場所ですが、本場のウイグル料理に舌鼓を打ったり、独特な歴史を歩んだスポットを巡ったり有意義な旅でした。今回の記事はそこで感じた違和感からマスコミで報じない新疆のある側面を探ってみたいと思います。
ウルムチで感じた違和感
ウルムチ市内を歩いていてある違和感を感じました。なんとなく
「聞こえてくる漢語が統一されていない」「掴み所がないように感じた」のです。少数民族の自治区なんだから当然だ。と思うかもしれませんがそうではありません。漢人の会話に全く統一感がない。街角から様々な特徴を持った漢語が聞こえてくるのです。直前に、広州から昆明、成都と中国のメジャーな都市を回っていたので、なおさらこの違和感を感じてしまいました。また、正直に言うと漢民族が田舎くさいのです。少し前に話題になった爆買い中国人の雰囲気といいますか、少し前の2000年代初頭の中国の都市住人のふるまいっぽいのです。
ウルムチからトルファンに向かうバスターミナルで見た光景がなおさらそう判断させました。漢人のオジサンがマッサージチェアに座っていたのですが、そこを掃除するウイグル人の清掃員がどかそうと「スイマセン、ちょっとどかしますよ~」と言ったらそのオジサンが激高して「俺は金を払ってマッサージを受けているんだ!!」ど怒鳴り散らかすのです。
いくら新疆ウイグル自治区といっても省都の住人のマナーがこれ?
衝撃でした。
新疆の漢人はいったいどういう人たちなんだろう?
内地はどこから来た人なんだろう?
もしかして、これが分かると少しくらいは新疆を巡る問題を理解できるのではないか?
新疆への漢人流入には主に三つのピークがあると言われています。第一のピークは1949年から61年。退役軍人や政府派遣、青壮年の移住や自主移民などが主です。第二のピークは1964年から80年。途中に「文革終了」と「下放青年の原籍への帰還」「改革開放」があり、新疆から流出する人口も一時的に増えた時期でもあったようです。第三のピークは1990年以降に訪れます。この時期にどうやら内地から約200万人の大工や左官、修理工、裁縫、靴職人が新疆に流入したようです。西部大開発も忘れてはならない要素でしょう。
その他の要素として中国政府の新疆に対する様々な“優遇措置や援助政策”も見ておく必要があると思います。その中には「対口支援」というモノがあります。これは中央政府の各官庁や地方政府が援助する地区などを指定し「一対一」で支援する制度です。この制度は1979年に提起され、当初は江蘇省を中心にした計画だったようです。それから97年に北京、天津、上海、山東、江蘇、浙江、江西、河南から200人の関係者が派遣されました。
どこからどういう人が新疆に流入するのか?
2015年に新疆大学人口研究所が出した論文によると、新疆に流入する漢人は主に長江、黄河流域の経済が比較的発展し、人口密度が高く自然資源があまり豊富ではない省の農村から主に流入するようです。主に。四川、河南、江蘇、山東、浙江、甘粛、陕西から流入してくるようです。さらに、それらの省の比較的若くスキルを持った人たちみたいです。そうした人は内地では「余剰労働力」になるような人たちです。
温州もまた浙江省の地名
「边疆宾馆」にあった看板。北京、広州、深セン、義烏の品物をウルムチに。そこからカザフスタンやロシアへ。
これは想像ですが、こうした人たちが大量に新疆に流入する事によって、競争が激しくなり土地や住宅価格の上昇を招き、ただでさえ漢人の商習慣についていけてない少数民族がドロップアウトしてしまう。しかも流入している漢人たちは差別意識があるわけではなく(差別や無知を自覚していないからタチが悪い)純粋に食べていくために新疆にいるわけなので、より問題がこじれるのではないかと思います。
新疆の問題は、民族間のナショナリズムの問題であると同時に、中国政府の雇用政策と産業転換政策の失敗が凝縮された結果ではないか?そんな事を思ってしまいました。
※引用論文
北海商科大学論文集 第六巻第一号 2017年2月17日受理
新疆ウイグル自治区の経済構造ー国家と市場と多民族のトリレンマ
石原享一 P31~33, P53~54
http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/3190/3/6-2.pdf
新疆大学人口研究所 新疆公安庁 830000 2015年1月26日アップロード
新疆流動人口分析
任強 原新 馬紅梅