黄龍VSバハムート(その1)
ユーラシアの巨人 中国とインド
中国経済の失速によって、チャイナ+1というプランが脚光を浴びています。これは中国と他のアジアにリスクを分散させるというモノです。その+1の有力なパートナーとして考えられるのがインドです。ゴールドマンサックスなどの見通しでは、インドもいずれは中国に追いつき、ユーラシアの姿を変えると言われています。中国とインドの関係を見る事は、これから先のユーラシアのパワーバランスを占う事にもなります。回数を分けて中印関係について整理し、今後の行方を考えます。
戦後直後から冷戦までの中印関係
中国とインドは共に、超文明大国であり植民地支を受けた国として、一時期は手を結んでいた事もありました。アメリカにもソ連にも属さない非同盟諸国として、中国の周恩来とインドのネルーが中心となって、バンドン会議(1955)を開いたりもしました。しかし、それもすぐに瓦解します。中国による西蔵侵攻でパワーバランスが崩れ、ダライ・ラマのインド亡命で関係が悪化します。その後、中国は核兵器の開発に成功。中ソ論争、そして文革に突入し、中印は完全に関係が途絶します。
インド側の事情も少し確認しましょう。インドでは戦後、英国から独立する際、様々なトラブルが生じます。その代表的なモノがパキスタンとの関係です。インドには多数のイスラム教徒が存在しました。そのイスラム教徒をパキスタンやバングラディッシュに移住させたりしたので、道中ではトラブルもありました。パキスタンとインドは不倶戴天の敵と言えるわけです。そこに『敵の敵は味方理論』でパキスタンと中国が結びつきます。そしてインドも対中国をにらみ核武装に成功します。そしてパキスタンも核武装をします。中印パの三国は核兵器でお互いを抑止していたわけです。中印パは領土紛争も抱えています。また60年代の中国は各国に革命を輸出していたので、南アジア地域でも「毛沢東主義者」がテロ活動などをしていました。
以下が年表です。
第一次印パ戦争(1947~49)
中印戦争(1959~62) 中国核保有(1964)
第二次印パ戦争(1965~66)
第三次印パ戦争(1971) インド核保有(1974)
パキスタン核保有(1998)
戦後直後から冷戦期の日本以外のアジアはまさに、貧困と混乱と殺戮の象徴であり、大国の代理戦争の犠牲者でした。この状況は、ソ連の崩壊。中国やベトナム(70年代から80年代)などで市場経済の導入。インドも91年に経済が自由化する事で大きく状況が変わっていきます。
次回はその後の事について見ていきましょう。