今更、他人に聞けない「台湾」って何??
本稿に入る前に、断っておくべき事があります。
本稿で出てくる「シナ」には差別的なニュアンスはありません。あくまで現行の中華人民共和国の主権が及ぶ範囲の「地名」として使います。
本稿の「台湾」は「中華民国台湾」の主権範囲の「地名」です。
”中国”はあくまで1911年以降の領域国民国家として「シナ大陸」で始まった近代国家です
シナ大陸の「中華民国」と「中華人民共和国」はおなじ中国ですが、後者を中国国内の慣習に従い「新中国」とします。
「中華圏」を、主に漢字を使い「シナ大陸発祥の文明」を共有している範囲の事であり、 「中華人民共和国」・「中華民国台湾」・「中華人民共和国特別行政区香港」・「中華人民共和国特別行政区澳門」を包括する概念とします。
はじめに
民進党議員の蓮舫さんに二重国籍疑惑がある事が報じられました。
この問題ですが、明らかに「新中国」と「中華民国台湾」と「日本国」をめぐる歴史と国際関係が関わっています。そこで、本稿では今更聞けない、新中国と中華民国台湾に関する問題について、僕なりに説明します。
全ての始まりは「台湾の植民地化」
事の始まりは、清朝の統治範囲だった台湾が1895年の下関条約で日本に割譲され、大日本帝国の主権領域に組み込まれた事から始まります。台湾が日本の主権領域になったことで、そこに住んでいた人々は日本国民になり、日本国民としての自我意識を備えるような教育が施されます。皇民化政策という言葉で説明されますね。そうして、台湾は日本の敗戦の1945年まで日本の一地域でした。
スミソニアン航空博物館に展示されていたポスター
一方、その間にシナで起きていた事を確認しましょう。シナ大陸を支配していた清朝ですが、アヘン戦争をきっかけに香港を割譲され、西欧列強に分割植民地支配されます。そんな状況を変えようと、中国国民党(1894年にシナで結党、1919年に現在の国民党となる)や中国共産党(1921年)が結党されます。そんな中、孫文が立ち上がり、国民党を主に率いて革命を成功させます。1911年に革命が起こり、清朝が倒れ、中華民国が1912年に建国され、シナ大陸に中国が生まれます。
しかし、その国家運営は安定せず、各地に軍閥が割拠し、さらには西欧列強や日本と闘わなければなりませんでした。なので、国民党と共産党は一致団結して、第二次世界大戦を戦い抜き1945年に終戦を迎えます。
ここまではまだ、台湾は日本の領土です。問題はココから終戦直後からこじれ始めます。
終わらない戦争ー”チュウゴク”の分裂ー
1945年に一応は戦争が終わりました。そして、戦争の終結に伴い、領土を戦前の状態に戻す作業が始まります。サンフランシスコ平和条約、日華平和条約で、台湾は日本のモノではなくなり、中国に返されます。現時点の中国はまだ「中華民国」です。
しかし、中国では、国民党と共産党の内戦が終戦直後から始まります。そして1949年に中華人民共和国が建国され、新中国になります。そして内戦に負けた国民党は、台湾に逃げ、中華民国を台湾で続ける事になります。これが、今にまで続く
終戦後、世界は冷戦構造になっていきます。
こうした情勢の中で、新中国と中華民国台湾はお互いを以下のように批判し合います。
中華人民共和国は国ではく、共産主義のゴロツキが支配する集団の名前である。
中華民国台湾こそが正統な中国である。
台湾は国民党に不当に占拠されている、中華民国台湾は西側諸国が支援している武装集団で、中国を分裂させようとしている。
日本は自由主義陣営の国なので、中華民国台湾を正統な中国として扱い、新中国を国家として扱っていませんでした。しかし、冷戦の終結で、中華人民共和国が国家承認され日本と国交を結ぶ事になり、中華民国台湾は国家として扱われなくなりました。外務省の公式HPでも、中華民国台湾は”地域”のカテゴリーになっています。
今回は主に、日中台の外交関係や歴史に焦点を当てました。更に台湾をめぐる問題は、台湾内部のアイデンティティの多様性にもよります。それがまた事態を複雑化させています。
台湾を理解する書籍は以下のようなものがあります。参考にしてみてください。
台湾68年世代、戒厳令下の青春――釣魚台運動から学園闘争、台湾民主化の原点へ
- 作者: 鄭鴻生,丸川哲史
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
この本の中には元台湾総統、李登輝氏のインタビューが収録されており、インタビュアーと李登輝氏が双方とも台湾を中国と呼称している。
「台湾アイデンティティ」を分析してみる。”台湾独立”ってどういう事?
この記事では、台湾国内の歴史に言及しながら台湾アイデンティティを分析し
「台湾独立」について考えます。
日中台の外交史や国際関係については以下の記事を参考にしてみてください。
今回の記事でも以下の定義を採用します。
「シナ」は差別的な意味ではなく。現行の中華人民共和国の主権が及ぶ範囲の「地名」
「台湾」は「中華民国台湾」の主権範囲の「地名」
”中国”は1911年以降の領域国民国家として「シナ大陸」で始まった近代国家
シナ大陸の「中華民国」と「中華人民共和国」はおなじ中国だが、後者を「新中国」とする。
「中華圏」を、主に漢字を使い「シナ大陸発祥の文明」を共有している範囲の事であり、 「中華人民共和国」・「中華民国台湾」・「中華人民共和国特別行政区香港」・「中華人民共和国特別行政区澳門」を包括する概念とする。
台湾の歴史 台湾の民族とは?
まずは台湾の歴史をたどりながら、台湾にいる”民族”について言及します。初めて台湾にアクセスした西欧列強はスペインです。その後にオランダが入ってきます。オランダもゼーランディア城という要塞を作ったりしました。これが16世紀から17世紀の話です。それ以前にも台湾には原住民と呼ばれる方々が住んでいました。この方々達は、独自の言葉を持ち、漢文化や大和文化とも全く異なる風習を持っています。
台湾原住民の一つ、セデック族をめぐる物語は映画にもなりました。
シナ大陸で明朝が崩壊(1644)するタイミングで、本格的に台湾にも漢民族や漢系文化が入ってきます。そうして入ってきた漢民族は「清を倒して明を復活させよう」と試みたモノたちもいます。その後、鄭成功が「反清復明運動」を率いオランダを追い出します。台湾はこのタイミングで初めて本格的に漢民族政権によって統治されました。しかし、その後すぐに清朝によって鄭氏台湾は討伐され、台湾は清朝によって統治されます。
日本統治時代
台湾が日本に統治され、皇民化政策が敷かれます。この時点で独自のアイデンティティを持っていた諸民族は、日本国民としてのアイデンティティを強要される事になります。反発する人も勿論いましたがや何とか上手くやっていこうとする人もいました。上にあげたセッデク・バレの小説版にはそういった描写があります。また統治する日本人の中にも、諸民族にしっかりと向き合っていく人もいれば、台湾の諸民族を纏めて見下す人もいました。
戦時中は台湾人も日本兵として戦争も参加しました。そして、その魂は靖国神社に祀られたりもします。
犬が去って豚が来た
日本が敗戦し、台湾が中華民国に返され、内戦で中華民国が負け台湾にやってきます。問題はここから起きます。中華民国に返還されるまで台湾人は「日本人」としての教育を受けていました。さらに、内戦で敗北してやってきた国民党は腐敗し、現地の住民のアイデンティティなどを全く気にかけない統治を敷きました。
よって、「日本人は煩かったがインフラや近代教育をしてくれた。しかし、国民党は腐敗し役にも立たず煩いだけだ。犬(日本)が去って豚(国民党)がきた」と言われます。
ここで本省人(国民党以前から現地に住んでいた人)と外省人という違いが生まれます。
この二者は流血を伴う衝突事件も起こしています。その代表例が「2・28事件」です。
因みにこの事件の犠牲者には沖縄人も含まれています。
国民党の圧政よりも日本の方がマシだった。そういった感情が本省人の打倒国民党感情に繋がり、日本のナショナリストや保守派に合流していきます。そうした人たちが「中華民国の屋号を外し台湾は台湾である!台湾共和国を建国する」という考えに至ったのが、台湾独立派です。
その後、新中国での文革発動とベトナム戦争などの反米機運などのタイミングが重なり、伝統的な中華文化や漢文化に価値を見出し、国民党を中心にそれをアイデンティティとしようとする思想潮流も一時期はありました。そうした経緯もあって、中華民国台湾ではシナ本土よりも、中華文化の礼儀や宗教的な価値観が色濃く残ったケースもあります。
時代が移り変わり、本省人で国民党に所属していた李登輝氏の総統時代に、台湾では一気に民主化が進み、同時に「台湾アイデンティティ」を強化する動きがありました。李登輝氏はあくまで「中華民国台湾」と「新中国」は国家として別であるというスタンスを保ちながら、シナ大陸発祥の礼儀や文明も尊重して、国を作っていきます。
台湾はその後、順調に民主化を推進し、「アジアの小四龍」として高度経済成長を遂げます。それと同時に国内の様々な問題や対立を解消しながら、そこに住む人たちは独自の「台湾アイデンティティ」を作り上げていきます。