中露関係を整理整頓する(後編)
前編では、中露関係の歩みと、中国のロシアに対する感情を分析してみました。
前編は此方より↓
http://syuturumu.hatenablog.com/entries/2016/07/15
後編ではロシアの中国に対する見方などを検討して、ユーラシアの超大国の関係を俯瞰し、今後のユーラシア情勢の見通しをつけられればと思います。
ロシアの中国に対する見方
ロシア側の評価はとても多様です。政府関係者は予想通り、両国関係について乗り気なことを言います。たとえば、
ロシア連邦外務省アジア第一局のコンスタンティン・ブヌコフ局長は
「中国外交には、ロシアの国家利益を脅かすような要素は何一つ見当たらない。国際舞台において我々と中国との間に重大な相違はないし、中国は国際問題について前向きで建設的な役割をはたしていると見ている。ロシアにとって一部の市場で中国とは競争関係が生じつつあるが、高次元の協力関係もある。両国関係に“火”がついてしまうのを事前に防ぐべく、我々は最善を尽くしている。これを二国間で行うために50以上のワーキンググループがあるし、多国間では上海協力機構が仕組みとしてとても優れている」
ロシアの中国専門家、ウラジミール・サーシャ・ルーキンも、ロシアと中国の共通点を指摘します。
「国際社会の構造について同じ見方を共有しているし、多極的な世界の方が好ましいと同じように思っている。国際法を支持し、国内問題への介入に敏感で、分離独立運動との闘いにおいてお互いを支援している。地域的な問題については協力しあい、経済協力の必要性もともに認識している。既存の国際金融システムの変更を希望し、両国国境の安定が必要だと考えている」
ロシア科学アカデミー極東研究所所長、ミハイル・ティタレンコ氏は以下のように述べます
「楽観的ではあるが、過去由来の不信感がロシア社会にはまだある」
ロシアの他の中国研究者はもっとはっきり懸念をあらわにします。
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所のワシリー・ミヘエフ副所長はこう指摘します。
「反中感情はとても強いし、変化している。ロシア極東を征服したいのではないかという空気もある。加えて5~6年の間に、経済的な脅威を恐れる気持ちから生まれた新しい反中感情もあり、昔ながらの反中感情と結びついた。さらにそこに人種差別的な反中感情も加わる。上海協力機構はロシアの「近い海外」で、我々は中央アジアでの中国を抑えなくてはならないはずだ。要するに、中国は競争相手に変身している。ひどい頭痛の種になりつつあるのだ。」
ロシア極東地域だけでなくロシア中心地域に中国移民が大量に流入していることは、歴史的な「黄禍」の恐怖を呼び起こすだけに、多くのロシア人にとってとくにセンシティブな問題です。しかしロシア連邦外務省のコンスタンティン・ブヌコフは、2008年以降ともなると移民の流れを食い止める新規性が導入済みだと反論します。またブヌコフは
「ロシアは中国移民が欧州に向かうのを防ぐ役目を果たしている。ロシアはかつてチンギス・ハンやモンゴルの襲来を阻んで欧州を救った。今また同じことを中国についてやっているのだ」とも述べています。
モスクワ国際関係大学の政治学部長で中国研究の一人者でもあるアレクセイ・ボスクレンスキーは
「ロシアの政策決定担当者の間で、高度な内容の綱引きと議論が秘密裏に行われている。中国をライバル視して中国の脅威を警戒するべきだという一派がいるが、中国は参考にすべき経済モデルだという考えの一派もいる」
ドミートリー・ストレスツォフ教授はもっと率直にこう言う。
「モスクワの政策決定担当者のほとんどは意識の片隅で、中国は今後、脅威になり得ると思っている。中国は我々を操ろうとしている」
ミハイル・トロツキー副学長は、さらに詳しく
「中国は世界的な反米の動きの先頭にロシアを押し出して、自分たちの反米主義にロシアを利用しようとしているというのが、我々の認識だ。しかも自分は途上国のリーダーという立場を維持しながら。中国政府はロシアに”アメリカに対抗せよ”と言ってくるのだ。我々は中央アジアやアフリカにおける中国の動きも疑っている。ここモスクワでは最近、中国がいかにロシアを服従させようとしているかという議論が始まっている。中国をライバル視する人は多く、脅威になり得る国として中国を警戒するべきだという意見は多い。特に極東では、中国の勢力圏のなかにロシアが収まってしまう事への深刻な恐怖がある。」
モスクワのアメリカ・カナダ研究所のセルゲイ・ロゴフ所長もこれと同意見だ。
「国際舞台のあらゆる場面で中国は以前よりも積極的だし、それは必ずしもロシアの利益に見合わない」
中露関係の研究者、ボボ・ローは以下のように説明する。
「中露関係は独裁国家どうしの同盟ではないし、純粋な戦略的パートナーシップでもない。関係から得られる利益は非対称かもしれないが、互恵的だという認識が前提の、限定的なパートナーシップだ。深刻な食い違いが生じても騒ぎ立てずにおく知恵が支えている関係でもある。この関係がいつまで続けられるのか、それが問題だ。戦術上の便宜性と対立予防のほかは内容に乏しく、当事者の意図的な自己欺瞞から成り立っているこの組み合わせは、長く続く安定した関係性の基礎としては実に心もとない。ロシアと中国の違いは簡単に誤魔化せない、そういう時代がやってくる」
実をいうと、そうした中国とロシアの不信感を増長させる出来事は2000年代の前半にも観測されました。2006年以降、武器提供も支援も急減し、年間7億ドル~10億ドル規模にまで落ち込んだ出来事がありました。この急減について、以下のような要因が考えられます。まず
中国の防衛技術革新によりロシアを頼る必要がなくなった。
ロシアの技術の盗用で技術革新を行ったため、ロシアの不信を買った。
ロシアは中国へ提供する予定の最新兵器を、インドやベトナムに向けて提供し始め、それが中国政府の不信を買った。
ロシアによって提供されている製品が最終使用品のみなので、中国は部品供給をロシアに依存してしまうため、不満を抱いている。
石油・天然ガス権益に対するロシアの方針は2000年ごろから保護主義化したようです。これには、この時期に起きた資源価格の高騰も関係していると考えられます。また、2005年8月にロシア政府がウズベキスタンのカルシ・ハナバード旧米軍基地入りを急いだ事がありました。ロシア側の情報源によれば、中国がこの基地を獲得したい意向を示したためだと伝えられます。
ロシアの実情と、中露関係を規定する外部要因
2014年以降のウクライナ情勢を受けて、ロシアは西欧米から経済制裁を受け、G8から脱退しました。それらの要素を受けて、ロシアが急速に中国を始めアジアへ重点を移し始めました。当初は早急に事態は収束に向かうと思われてましたが、その予測は大いに外れました。ロシアの国力を過少評価した事が原因に思われます。
プーチンのロシアでは乳幼児死亡率が目覚ましく低下し、男性の平均余命、自殺と殺人の発生率、出生率などが改善し、2009年以来、ロシアの人口は増加に転じています。ロシアではソ連時代から継承された高い教育水準が保たれていて、男子よりも女子のほうが多く大学に進学しています。また人口の流出よりも流入のほうが多いことからも、ロシア社会とその文化に“様々な引力”がある事の証明でしょう(日本でも中国でもロシアと言えば美女大国のイメージがありますね)また強力で粗暴だからこそ大多数の国民から暗黙の支持を受ける「権威主義的デモクラシー」という性質もあの国に備わっています。
もっとも、ロシアが主として地下資源の開発に依存する「不労所得経済」によって、また、ますます農業によって生きているというのは本当の事です。それ以外の点に関していえば、ロシアは従来からの産業で残っているものを護ることを目的とする保護主義経済にとどまっています。あの国の切り札は二つです。潜在的な富に満ちた1700万平方キロメートルの広大な国土と、ハイレベルな科学者たちを擁する1億4400万人(2013)の人口です。このポテンシャルは中国にとっても魅力的な筈です。
中露関係の外部要因として、ロシアの欧米との距離感の他に、中国と日本やアメリカの関係があります。中露両国とも日本と領土紛争を抱えています。またロシアは中国と領土紛争を抱えているベトナムやインドにも武装を売却しています。中露両国ともに領土紛争を抱えている我が国としては、これらの外部要因も含めながら、注視していきたいですね。
中露関係は大局で見た際は良好と評価できます。またロシアの一般市民の間では中国に対するポジティブな感情も比較的高いです。過小評価は危険です。今だからこそ、愚直に資料に当たり、ユーラシアの行方について見通しをつけていきたいですね。
※『今が分かる 時代が分かる 世界地図2016』より引用
引用文献
デイビット・シャンボー著
『中国 グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える』P114~120
マーティン・ジェイクス著 『中国が世界をリードするとき(上)』P105~108
エマニュエル・ドット著『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』P81~91
参考資料
ロシアが持つソフトパワーのご参考に。
中露関係の外部要因としてのベトナムのポテンシャルを知る参考に
中露関係とウクライナ情勢を見る方向けに。
この記事の中には 以下のようにも書かれたいます。
「ロシアの対中関係の発展は独自の関心に基づいたものです。国境の問題を解決し、多くの国際問題で同一の立場を持っています。関係のレベルは全体的に上がりました。確かに日本ではこれにあまり善い反応をしめしていませんが、それでも我々が中国と仲良くするのは誰かに反対してということではなく、それが我々の国益に叶っているからです。これと全く同じように我々は日本との関係発展に関心を持っています。このために万全を尽くしましょう。日本は私たちにとってはとても重要な国なのです。」
中露関係を整理整頓する(前編)
中露関係を整理整頓する
東シナ海での行動を始めAIIBなど、ここ数年の中国とロシアの関係はとても蜜月に見えます。確かに両国は、反米と反介入主義という一致した行動指針を持ち、日本とも領土問題を抱えています。しかし、両国の戦後の歩みなどを見てみると、蜜月とは言いづらい側面も見えてきます。そこで中露関係について主にデイビッド・シャンボー著『中国 グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える』から引用しながら、見ていきたいと思います。
中露関係の概略
中国とロシアの関係を大まかに分けると以下のようになります。
① 友 好と同盟の1950年代
② 相互不信、 不和、 イ デオロギー対立の50年代末から60年代半ばまで
③「敵国」 同士として全面的に対立した60年代 末から70年代
④ 国家間・共産党間の関係正 常化を模索した80年代、
⑤ 双方が、 善隣・友 好関係をうち立てようとした90年代
それでは、ここで1990年代の出来事から見てみましょう。この時期にソ連が崩壊します。それらの混乱で1991~92年の中露関係はしばらく空白で不透明でした。しかし、事態が落ち着き92年の12月にエリツィンを公式に北京へ招聘しました。93年には中露軍事協力協定、94年の「建設的パートナーシップ」合意、この年には同時に相互不可侵の合意が結ばれ、お互いに相手を核攻撃の標的にしないことと相手への核兵器先制不使用にも合意できました。同年、江沢民がモスクワを訪問し、それを機に両国の首脳や大統領による首脳会談が毎年行われるようになりました。90年代はこうした交流を通じて様々な二国間協定を結んでいきました。1996年には中国初の「包括的戦略的パートナーシップ」も結ばれ、中央アジアに関する「安定地帯」確立にも合意し、これがやがて「上海ファイブ」「上海協力機構」へと発展します。そして2001年、これらの歩みの到達点として中ロ善隣友好協力条約が締結されたのです。
これは同盟条約ではありませんが、同盟条約に準じる特徴があります。
第八条には「この条約の締結国は他の締結国の主権、安全保障、領土の一体性を損なうような、一切の同盟関係やブロックや行動に参加せず、そのような第三国との同盟関係にも参加しない」と明示し、
第九条は、「締結国の一つが、平和が脅かされ損なわれている、あるいは自国の安全保障上の利益が関係している、あるいは侵略の脅威に直面しているという事態が発生した場合、本条約の締結国はそのような脅威を取り除くため直ちに連絡を取り合い協議すること」を約束しています。
長年の懸案であった国境問題についても、2005年6月と2008年7月に交渉を重ねたのち4300キロに及ぶ国境を正式に確定します。2009年には上海万博を訪れたドミトリー・メドベージェフ大統領が中ロ関係について「史上最高の状態に達した」と称えました。
経済と軍事の歩み
両国の貿易関係は、1990年代の大半を通じてわずか50億ドルでしかありませんでしたが、2011年には835億ドルになるまで成長しました。同じ年に中国は、ロシアの最大貿易相手国としてドイツを抜いて1位になりました。2012年6月ウラジーミル・プーチン大統領が中国を公式訪問した際、両国は2015年までに二国間貿易の目標額を※1000億ドルに設定、2020年までには2000億ドルにすることで合意します。
以下の記事では2015年の中露貿易の総額は642億ドルと報じられています。
また、中国東北地域とロシア極東地域の連携強化に注力もしました。2010年には205項目に及ぶ「大規模協力計画」のマスタープランが策定。エネルギー協力も順調に進んでいます。2009年2月にまとまった「ローン・フォー・オイル」取引の一部で、ロシアは2011年から2030年にかけて中国に石油3億トンを提供する代わりに中国から250億ドルの融資を受ける事にもなりました。
軍事上の繋がりや防衛協力も中露関係の主要な要素であり続けました。64天安門事件をきっかけに、欧米諸国から武器や防衛技術を得られなくなったとき、中国を助けたのはロシアでした。ロシアもロシア側で自国の兵器産業を生き延びを目的に市場を探していました。1990年代から2000年代にかけてロシア政府は一貫して、中国に様々な最新兵器や軍事技術を提供し続けました。ロシアの対中武器供給が最も盛んだった時期に、中国への売り上げは世界全体への売り上げの40%に相当し、毎年約30億ドル、1991年から2005年には総計160億ドルに達しました。
中国の対ロシア感情
中国とロシアは反米主義と反介入主義でブロックを組み、地域的および世界的問題について意見を多々共有しています。しかし、両国はただアメリカへの対抗心から結ばれているわけではないようです。国家主権こそ外交の最重要な基本原則だとしている点、ユーラシア大陸の巨大大陸国家の統治理論や共有している歴史観、哲学や文明的な所にも根差しています。
しかし、中露双方は完全に信用しきっているというわけでもないです。
人民大学の宋新寧教授は
「中国にとってロシアは対応せざるを得ない隣国だ。国際社会で頼れるパートナーではない」と言います。
中国現代国際関係研究所のロシア研究者、冯玉军は、
「ロシアは中国外交の四つの次元すべてにおいて、中国にとって最重要な国だ。中国外交の四つの次元とは、周辺国に対する外交、大国に対するもの、途上国に対するもの、多国間に対するものを意味する。ロシアの国力は衰退しつつあるが、私たちは今でもロシアのことを、国際影響力のある大国と考えているし、中国とロシアには多くの共通点がある」と指摘します。
中国外交部で長年、対ロ関係を専門にしてきた師哲も同様に前向きだ。
「1990年代以降、両国の関係は前より実務的、事務的なものに変化している。中露両国とも互いの独立は維持すべきと考えているが、国際的には協調すべきだと考えている。合意と信頼にもとづく関係を享受している」と述べました。
中国の一般民衆のロシアに対する感情は概ね良好です。ある世代にとって、やはりロシアやソ連は憧れの存在です。中国の近現代史を描くドラマでは、ソ連からやってきた技師との恋愛模様が描かれるモノがあったりします。実をいうと文化大革命で走資派として失脚した劉少奇の孫もロシア人と中国人のハーフです。また、中国国内には少数民族の一つとしてロシア族が存在します。ある調査では7割以上の人民がロシアを支持し、プーチン大統領に対しても良い感情を持っているようです。
青が良好な感情で、プーチン人気も高いです。
確かに、ロシア人への差別用語として「老毛子」というモノも存在します。清の末期に中国辺境へ侵入してきたロシア人の様子が毛むくじゃらで、野蛮な様子から名づけられました。ただ、現在ではあまり使われないようです。
中国人民のロシアに対する感情は概ね良好で、大きな問題は無いと評価できます。
今回はここまでにしましょう。次回の記事では
ロシア側からの視点と昨今のウクライナ情勢やロシア国内の事情からも検討したいと思います。
引用文献
デイビット・シャンボー著『中国 グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える』P111~120
島村智子著『上海協力機構(SCO) 創設の経緯と課題』
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200612_671/067104.pdf
参考記事
資料映像
中国のロシア族の春節に密着したドキュメンタリーです。
中国とロシアに分かれた親戚を探すという企画です。
劉少奇のロシア国籍の孫の生涯に迫ったドキュメンタリーです。
上海協力機構の基礎の基礎
上海協力機構を考察する。
中国のグローバル・インパクトや海外進出がニュースを騒がしています。特に南シナ海や東シナ海の動向、AIIBや一路一帯、新シルクロード構想などはTVを始め各種メディアでも報道されています。しかし、中国の海外進出を語る上で欠かせないある組織の事は全く報道されていません。その組織とは「上海協力機構」です。
この組織は94年に設立された「上海ファイブ」から発展を遂げた組織です。
中国、 ロシア、 カザフスタン、 キルギス、 タジキスタ ンの5ヵ国の領土問題の安定や、イスラム過激派によるテロ防止などを目的としています。その後、ウズベキスタンを加え、「上海協力機構」に変わります。さらにオブザーバーとして、アフガニスタン・ベラルーシ・インド・イラン・モンゴル・パキスタンが加わります。対話パートナーとして、アゼルバイジャン・アルメニア・カンボジア・ネパール・トルコ・スリランカが参加しています。旧ソ連や社会主義陣営が多い事と、中国・ロシア・インド・パキスタンが核兵器を保持している事が特徴だと思います。イランの核兵器はまだ確認されていません。ですが欧米との核開発最終合意に至ったので、今後ISの動向によって核兵器を持つ可能性はあります。
ユーラシアの多国間協力組織で核保有国の集団。それが「上海協力機構」です。更にここにAIIBの創設メンバーも重ねてみてもいいかもしれません。
「上海協力機構」の始まりは中国とロシアの関係。
中国とロシアはとても関係がいいイメージがありますが、歴史を振り返ると、紆余曲折ありました。毛里和子氏によれば、
① 友 好と同盟の1950年代
② 相互不信、 不和、 イ デオロギー対立の50年代末から60年代半ばまで
③「敵国」 同士として全面的に対立した60年代 末から70年代
④ 国家間・共産党間の関係正 常化を模索した80年代、
⑤ 双方が、 善隣・友 好関係をうち立てようとした90年代
といった具合に移り変わっていきました。その間にどういった事が起きたかと言いますと、ソ連による中国とモンゴル国境地帯への軍隊の進軍。ソ連のベトナム支援による、中国南部辺境地帯の混乱。ソ連のアフガニスタン侵攻の中国西部国境地帯の混乱が起こりました。そして、ソ連が崩壊し、カザフスタン・キルギスタン・タジキスタンが独立し、新しい国境問題が起こります。「上海ファイブ」は中国とロシア、中央アジア諸国の問題を解決し、対話を促す機関として成立しました。
「上海ファイブから協力機構。そして進化」
これら国家との国境紛争を回避するために、「上海ファイブ」は確実に成果を上げていきます。そしてウズベキスタンが加入した事によって、この組織の性質が変わっていきます。ウズベキスタンは中国と国境紛争を抱えていません。ウズベキスタンの加入で、この組織から「国境紛争」の解決と安定と共に、中央アジア一帯のイスラム過激派対策や、集団安全保障といった様相を呈してきます。中国にとって、ウイグル族過激派のアフガニスタン等からの流入の阻止や、ウイグル族の政治亡命の阻止などの役割を果たします。BRICS諸国の経済的台頭も、この機関の結びつきを強めていきます。ロシア主導の「ユーラシア経済同盟」や中国の「陸の新シルクロード」などはこの組織の活動の積み重ねの成果と評価できます。
「上海協力機構」の可能性
この「上海協力機構」を文明論という視点を加えてみると、面白い事が見えてきます。まず、インドとパキスタンと中国の関係を見てみましょう。インドと中国は国境紛争を抱え、互いに国境を巡って紛争も起こしてます。昨日も、国境地帯に中国人民解放軍が侵入しています。
そして中印パもそれぞれ国境紛争を抱えています。また、これらの国家群は、
儒教文化圏とヒンドゥー文化圏とイスラム文化圏と全く違った文明国家群です。ここにロシアや中央アジア、モンゴルも加わっているので、西欧米以外のかなり幅広い文明圏が参加している国際機関でもあります。
このロシア文明圏や儒教文明、イスラム文明、仏教やヒンドゥーを包括するユーラシアを主軸にした連帯というのは、近代以降では初めてになります。近代以前は唯一「モンゴル文明」がそれを可能にしました。「上海協力機構」の動きを把握するためにはモンゴル帝国の子孫たちのDNAも解読する必要があります。
中国のネットからの広いモノです。
この図では、上海協力機構に参加している(オブザーバーも含めて)国がかつての、モンゴル帝国のそれぞれの(ハン国)に相当しているという図です。
以下の文章から引用させてもらいました。
上海協力機構(SCO) 創設の経緯と課題
島村智子http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200612_671/067104.pdf
「民・主・主・義」を考える
選挙ですね
参議院選挙が近いですね。それに加え図らずも東京都知事選も行われる事になりました。そこで「民主主義」について考えてみたいと思います。
Democracyの始まり
この「民・主・主・義」という四文字熟語の英語訳として「Democracy」を私たちは日常で何気なく使っていますが、そのルーツを確認すると興味深い事が分かってきます。ではまず簡単に「Democracy」のルーツを紐解きましょう。
この「Democracy」のルーツは古代のギリシャまで遡ります。古代ギリシャ語の
「デーモス」という「人民や民衆」を意味する言葉と
「クラトス」という「支配や権力」を意味する言葉の合体で、日本語に直訳すると
「人民権力・民衆支配」という意味になります。
この単語はその後。ギリシャの衰退の過程で「愚民政治」というニュアンスを帯びるようになるようです。プラトンやアリストテレスが古代ギリシャの「デモクラトス」を批判していた事をご存じの方はいると思います。
つまり、古代から「デモクラトス」には何度も批判や検討が加えられ、改良されていったという事が分かると思います。さて時代を一気に飛ばしましょう。
今日的な「Democracy」の始まりは、近代に西欧で起きた市民革命が元です。フランス革命に始まり、イギリス、そしてアメリカとそれぞれの国で「Democracy」が生まれ運用されていきます。ここで大事なのは
「Democracy」がそれぞれの国でそれぞれ違う形態で運用されていったという点です。
イギリスの立憲君主制の下でのデモクラシー
フランスの伝統的な君主が打倒されたデモクラシー
アメリカの君主など最初からない純血統のデモクラシー
同じ白人国家の「デモクラシー」でもバックグラウンドやその来歴が異なるという事が分かっていただければ幸いです。では次は「日本のデモクラシー」について確認しましょう。
「民・主・主・義」の始まり
西欧米から遅れて日本も近代化をします。その際に日本は西欧米の優れた技術や政治概念を輸入します。沢山の「翻訳」が行われたわけです。しかし、その作業は順調ではなく色々と、先人は悩みながら行っていきました。ここで考えたいのは、
なぜ悩むのか?という事です。日本には伝統的な文字で「ひらがな」と「カタカナ」があります。「Democracy」であれば、聞いてそのまま「デモクラシー」と表記してしまえばいいと思いませんか?現に「大正デモクラシー」のようにそのまま使っているではありませんか?
この視点はあくまで今の僕たちから見た時の視点です
当時、初めて「Democracy」を聞いてその説明を受けた翻訳家たちはその概念についてよく理解できていなかったようです。それもそのはずで
「Democracy」に相当する概念は日本をはじめ東アジア一帯には存在しない概念でした。
なので「Democracy」を日本語にするときにある人は「下剋上」という漢字を当てて翻訳しようとしたようです。下の者の一般民衆がお上に意見を述べて、最終的には倒してしまうので「下剋上」でもあながち間違えではないと、私は思いますが、翻訳家の先人はどうもしっくりこなかったようです。そこで先人たちは表意文字であり外国語である中国語の漢字を使って、オリジナルに創作しました。それが今の「民主主義」です。
民主主義=Democracy?
さて、ここで古代ギリシャの「デモクラトス」と「デモクラシー」と「民主主義」は必ずしもイコールではない事がお分かりでしょうか。
近代以前にも、一般民衆の意思を集約しそれを政治に反映させるという形そのものはありました。しかし、それまでは、国民国家(Nation State)というモノはありませんでしたし、もちろん各種のメディア技術もありませんでした。
また西欧米間でも違っていた「Democracy」を東洋に翻訳し、「民主主義」を創造する過程でも意味合いがズレました。
そこから考えを進めると、日本の「民主主義」について考える時はただ漠然と西欧米をお手本にするだけではなく、「民・主・主・義」という四つの漢字に込められた意義や、その考えを持った経緯、そして自分たち日本人の国家感などを様々な角度から確認する必要があると思います。
次回のブログ記事では、東アジア的な「革命」の概念と、中国の民主化について書籍と雑誌を参考にしながら、日本の民主主義にまつわる様々を考察したいと思います。
以下の書籍を参考しました。
P90
中国を過度に恐れないー今だからこそ習近平を再考するー
今だからこそ、「習近平」を再考する
中国を過度に恐れない。そのための一歩として「習近平」を今だからこそ再考したいと思います。習近平政権以降、言論に対する締め付けや、南シナ海での軍事行動、抗日戦争のパレード、権力闘争、経済の失速。と様々なマイナス面が出てきています。
思えば、中国の総書記は任期が10年です。そう考えると、2013年に就任して3年が経過しようとしていて、任期の前半の5年が経過しようとしていると考えられます。この前半の5年に迫ろうとしているタイミングで、「習近平」の基礎情報を確認し、再考する事は無駄な事ではないと思います。
習近平の経歴
※1)習近平は1953年6月、陝西省の生まれです。父親が八代元老院の習仲勲で紅二代です。9歳の時に父親が文革で失脚し、25歳まで続きます。紅二代のイメージに反し、若い頃はそれなりに苦労はしているみたいです。
清華大学に入学し法学博士を持つまでに至ります。78年春に父親が復権し、“親の七光り”で大物軍人、耿 飈(こうひょう)の秘書という良いポストが与えられました。その後、習近平は地方を回る事になります。82年に河北省その後の25年間、福建、浙江、上海と地方を回りました。07年に中央委員会から二階級特進で政治局常務委員となり中央に戻りました。82年に北京を離れてから25年も経っていました。しかも中央には3年弱しかいたことなく、08年国家副主席に就任し、10年に中央軍事委員会副主席に就任しました。
父親のキャリアも確認しておきましょう。父親は広東省で任務を見事に果たしたのちに、81年に中央書記処の書記となり、82年には政治局委員に選出。胡耀邦と趙紫陽を支えました。しかし、86年末から87年初めにかけて全国で学生運動が起こった際、それに好意的に対応したとして、胡耀邦総書記は失脚しました。習仲勲はその胡耀邦を正面から擁護し、鄧小平と長老たちの不興を買った。87年の第13回党大会では政治局委員会では政治局委員に再選されず、88年には全国人民代表大会の常務副委員長という「上がりポスト」に就かされました。噂によると、64天安門事件では趙紫陽を支持したと言われています。信念の人であったと覗えます。
そんな、父を習近平は尊敬しているといわれ、父親の誕生日にはこのような手紙を出しました。手紙の中で、父親の「人となりに学び、成し遂げたことに学び、信じることをあくまで追求する精神に学び、民を愛する気持ちに学び、民を愛する気持ちに学び、質素な生活に学ぶこと」を誓っています。(※1
実をいうと、ここまでで、習近平は今までの中国のリーダーとは大きく違った経歴を持っています。
それは北方内陸生まれで、法学博士を持っているという点です。
鄧小平 四川省
上の地図を参考にしてみてください。
北方人で法学博士その意味とは?
この、北方人と南方人の違いは、同じ漢民族どうしでも違いが大きく、中国人でもその違いに戸惑います。以下は中国の掲示板で「中国南方人と北方人の違いは一体なんなのか」というモノです。その書き込みの一つに
北方人相信“强权就是真理”;所以喜欢当官。
「北方人は強い権力こそが世の中。だから官吏になりたがる」
というモノがあります。習近平の反腐敗運動を見ると外れてはいないと思います。
さらに、習近平の出身の省には「西安」があります。この西安は古代シルクロードの起点で、兵馬俑なんかで有名な都市です。さらに、習近平の出身地も華夏文明という現代の漢民族の重要なルーツとなる文明の土地だと言われています。
おそらく、僕の邪推ですが、習近平は内陸部で沿岸部よりも貧しい西安や陝西省がより発展したり、ブランド力が高まる政策を優先的に実行すると思えてならないのです。AIIBや新シルクロード、サービス産業の強化はこの現れだと考えています。日本でも首相を多く輩出している山口県に空港が多かったり、道路が充実していると言われていますが、それと同じような現象が起こりうる気がします。
さらに、習近平政権が行っている「都市と農村の格差解消」にもあるルーツが存在しています。それは、習近平の博士論文のテーマです。
そのテーマとは「中国農村の市場化について」です。
どうやら、この論文の中で都市戸籍と農村戸籍の違いを撤廃する事を訴えているようです。
習近平はピンチを託された人
※2)中共のシステムが限界を迎え、体制に無理がきている事は、中国共産党内部でもどうやら強く意識されているようです。ある共産党員は海外のネットにこうしたことを書き込んだようです。
我々は中共が(腐敗、専制の)現状を保持することを望まないが、中共が倒れる事はもっと望まない。我々の願いは一つ「中共が改革開放を堅持し、腐敗官僚を厳しく取り締まり、特権資本主義を打倒し、人権を尊重し、言論統制を徐々に開放し、歴史の真相を取り戻し、毛沢東の功と罪、是と非を改めて評価し直すことだ。
また、「紅二代」はその出自ゆえに今後の中国の行く末について人一倍痛切な危機感を持つ人が多いはずと考え、習近平は「紅二代」に対して、「この危機感を打破したい、自分を支えるコア支持層になってくれ」と要請したと考えられます。つまり、習近平政権は皆で一致団結し清廉潔白な共産党を復活させて、ピンチを乗り切る人材として支持されているのです。 (※2
習近平政権の前半5年の終盤に差し掛かっています。習近平政権の仕上げにはまだ早いと思いますが、彼の過去のキャリアやルーツと現在進行形の各種政策を並べ比較検討を始めるにはいいタイミングだと思います。
以下の書籍から引用しました。
www.amazon.co.jp ※1)P158~P173
www.amazon.co.jp ※2)P29~30
こちらは参考資料
なぜ、外国のニュースを見るの?
外国のニュースを見る意義
国際化やグローバル化、そんなモノが当たり前のように言われています。そして、外国のニュースもテレビや新聞で沢山伝えられています。ただ、最近そのニュースの伝え方やあり方に疑問を強く感じる事があります。その疑問が以下です
外国を侮蔑的にあつかい、「日本ではありえない」で終わるのって正しいの?
「親日国家」という視点で切り込み、「世界で愛される日本」で終わるって正しいの?
最近は、特にこの傾向が強い気がします。日本礼賛コンテンツに対する疑問は、僕以外にもたくさんの人が感じているようです。以下参考。
外国のニュースを見る意義
僕は外国のニュースを見る意義というのは、
- 外国の問題を学び、将来的に日本でも起こらないか考える
- 日本にも似たような問題はないか考える
- 日本の問題を外国は上手く解決していないかヒントにする
- 日本とは違ったロジックで動いている世の中がある事を知る
主にこの四つあると思います。
「日本は凄い!」と悦に浸るためではない事は確かです。
中国のグローバル・インパクトを理解する意義(後編)
前篇では、中国の台頭のニュース価値を考察しました。もう一度、繰り返しますと
アメリカも日本も世界の主要な経済大国は「民主的な政治で自由経済」のシステムが殆どであるが、中国は全く異なる。
アメリカでも人口は3億前後、日本も1億弱。主要な先進国や経済大国の人口で
10億を突破している国はない。
以下では、この事実が及ぼす影響や、歴史的な位置づけを探りながら、中国のグローバルインパクトを理解する意義を考えてみたいと思います。
中国の台頭、近代西欧システムの限界
2015年、日本の集団的自衛権の行使容認や、現内閣の政治体制に反対する学生団体「SEALDs」が時の人となり新語・流行語にも選ばれました。彼らはこんなスローガンを掲げていました
「終わってんなら、始めるぞ」
日本の民主主義は終わっている。現内閣によって終わらされている。だから俺たちが始めるぞ。という意味だと思います。
彼らの主張だけでなく、近年は日本を含めて様々な所で、民主主義や資本主義といった、近代西欧発の社会システムや国家システムが限界を迎えている。もしくは終わっていると思われる現象が数多く見られると思います。その発現と思える現象と中国に関わる出来事を並べてみましょう。中国が関わる出来事は赤字で示しています。
2001年 ジョージ・W・ブッシュ政権発足 アメリカ同時多発テロ事件
2006年 第一次安部内閣発足
※21世紀初頭より原油価格の高騰.2008年6月 1バレル140ドル
昨今は解消 2015年5月現在1バレル約45ドル
2007年 史上初中国発世界同時株安 中国で高速鉄道開業
※FacebookやTwitterなどのSNSは2000年代の前半には誕生し一般開放される。
スマート・フォンの開発、発売も大体同時期
2010年 上海万博
2011年 オキュパイ・ウォール・ストリート運動
ノルウェー(反移民)連続テロ事件 アラブの春・シリア内戦の開始
日本と中国のGDP逆転
2012年 第二次安部内閣発足
2013年 パク・クネ内閣発足 AIIBの提唱
2014年 タイの軍事クーデター
更に、細かくそれぞれの国の内政に関するデータ。投票率の割合や世襲政治家の割合、自由貿易協定の枠組みの強化など、やはり近代西欧発の様々なシステムの過渡期である事が伺えます。そして、そのタイミングで中国が外に出てきたというのが分かると思います。
やはり、私は、中国の台頭は、近代西欧システムの限界や、非普遍性を象徴すると思えてならないのです。
10億人超という意味
日本では現在、少子高齢化と各種産業分野での労働力不足が叫ばれているので、人口が多すぎると逆に、国家の発展などを阻害するという感覚は理解しづらいと思います。人口は、その国が持つ各種の衣食住の生産能力、その生産を支えるための技術力や技術を支えるための公教育への投資、それらを行う国土そのものの地理条件など様々なバランスの上に成り立っています。
例えば、食糧を一週間で10トンしか生産できない自治体が無暗に、移民を入れたり、子供を多く生む事を奨励すれば、食糧が足りなくなります。昨今では少子高齢化の議論と共に適正な人口についての議論も行われています。
中国は世界一の人口と世界三位の国土を持っていますが、あまりにも国土が大きすぎる上に、その国土の半分は、険しい自然環境で食糧の生産能力が高くないのです。それに人口が加わるので、旧来であれば、こうした国家が世界的な経済大国になる事は考えられなかったのです。しかし、各種の技術革新やコストの低下などがそれらを可能にしました。SNSやスマートフォンの台頭、高速鉄道の運用のタイミングも興味深いです。
人類にとって地球は必要だが地球にとって人類はいらない。
地球の資源には限りがあります。残念ながら、地球上全ての人が先進国と同じ生活を営む事はほぼ不可能です。そこに、中国やインドといった国が豊かになっていく事は、我々の生活の質が相対的に低くなるという事を意味します。その後にアフリカの人口爆発も見込まれています。
すでに、中国やインドの台頭の影響が食糧や資源の価格に表れています。
中国のグローバル・インパクトを理解する事は、
近代西欧システムの行方を占う事と、資源獲得競争へ備える事に繋がるのです。
以下を参考にしました。
アメリカの民主主義の危機についてはこちらを参考。
中国の牛肉消費量の増加と、それに伴うその他の資源価格の上昇を扱った
150314 「世界“牛肉”争奪戦」_土豆_高清视频在线观看