偉大なるチョソンの威光はアフリカへ!!!
北朝鮮の緻密な世界戦略
北朝鮮と聞くと大半の日本人は「閉ざされた国」「世界から隔絶された収容所国家」というイメージを持つと思います。ですが実際は旧社会主義陣営の国家などとは国交があります。以下は参考ですが北朝鮮の主要輸入国のデータです。
https://atlas.media.mit.edu/en/profile/country/prk/
https://en.wikipedia.org/wiki/Foreign_relations_of_North_Korea
中国が主要な相手ではあるものの意外と様々な国と貿易をしている様子がうかがえます。
今回のテーマは北朝鮮がいかに「主体的」に動いたか、その中でアフリカや第三世界とどのように関係を構築したか?その一端を覗きたいと思います。
中国から逃げた北朝鮮
中国とソ連の関係が悪化し本格的な武力衝突に発展したタイミングで北朝鮮は独自の外交を方針を模索し始めました。まさに“主体”的に動いたのです。
1969年。中国とソ連の間で国境紛争が発生した年、アフリカのマリに最初の北朝鮮のイデオロギー思想である主体思想(チュチェ)思想研究グループが生まれます。その後、70年代にかけてチュチェ思想研究の組織はアジアとアフリカで増え続け70年代末には800以上の研究組織が立ち上がります。この70年代は中国にとって対米関係の修復とイデオロギーの調整のタイミングです。これもまた北朝鮮が独自の対外政策に向く大きな原因になります。
中国とアメリカの関係が改善し改革開放にいたる過程で中国はイデオロギーの調整を行い、「革命の輸出」が下火になっていきます。それと反比例するかのように北朝鮮は積極的に第三世界にアプローチしていきます。1974年、金日成は平壌市内で以下のように語ります。
「今日、世界人民がチュチェ思想の道に沿って前進する事は、阻むことのできない時代の流れになっている。(中略)アジア、アフリカ、ラテンアメリ諸国および世界のすべての国の人民は、小国や貧しい国を問わず、緊密に団結し、帝国主義者に息抜きの機会を与えず、至る所でそれに力強い打撃を与え、強大な圧力を加えることさえできれば、帝国主義を滅ぼし、革命の最終的勝利を勝ち取ることができる」。
北朝鮮は中国の主導的影響力を振り切り様々なかたちで「第三世界の反米闘争」を支援していきます。ベトナムへの軍事支援、アンゴラ内戦への介入などなど。
その過程でアフリカへの外交活動は一時期の中国をしのぐ勢いを見せました。70年代末までに北朝鮮はアフリカ諸国に1500人あまりの軍事顧問を派遣し、ほかに21のアフリカ諸国に3億ドル近くの経済援助を行いました。この成果か、ジンバブエで独立解放闘争を指導したムガベが最初に訪問したのは北朝鮮でした。
アフリカを対北朝鮮戦略のテコに!
日本外交的に北朝鮮は最大の脅威の一つです。ですが実質的にうまく関われていないのが実情です。北朝鮮は現在でもアフリカと関係があります。日本は対アフリカ外交を北朝鮮問題解決のテコにするべきだと思います。
CNN
Statues and ammunition :North Korea's Africa Connections
https://edition.cnn.com/2017/10/22/africa/north-korea-africa/index.html
※北朝鮮とアフリカの関係を考える参考
東アフリカ、スワヒリ海岸地区の東アジア武術伝播の系譜
80年代はじめその中でザンジバルの兵士が北朝鮮から派遣された軍人から訓練を受けた。
※
The Origins of North Korea-Vietnam solidarity: The Vietnam war and The DPRK
ウィルソン国際冷戦史研究センター
引用 書籍
P237-P238