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北東アジアを考えよう!

北東アジア(日中韓台朝)をメインに、ユーラシアを包括的に捉えよう。 

「多様性」を抱える事は面倒くさい。だけど「多様性」を抱え込むと最強だ。

「多様性」は面倒くさい

 

 昨今、「多様性」をめぐる議論が色々とされていますね。僕も「多文化共生」を作るような場に色々と立ち会っています。具体的には在日外国籍児童の学習支援などを通じて社会の多様性に貢献するというモノです。

 

  そういう場で感じるのが「多様性というのは悉く面倒くさい」という事です。

 

どういう事かと言いますと、その国や来日している家族の階層によって、

  身に着けている学力がはなはだしく異なり一律の対応が出来ないのです。

  もちろん身に着けている日本語のレベルも違います。

 例えば、日本だと小学校から中学校までは基本的に落第はありません。それに義務教育なので、日本国内で暮らしている限りどんな人でも15歳以上の人は中学校までの学力が備わっています。しかし、国や過程によっては、母国で小中学校を満足に履修せずに日本でいきなり日本の高校過程を履修する事になる事もあり得ます。落第を小中で経験したりした場合、18歳や17歳で高校一年生という事もあり得ます。様々な国籍の児童が集う多様性のある学校や教室というのは非常に面倒くさいのです。

 

 

なぜ「多様性」を抱え込むのか

 

 そんな面倒くさい「多様性」をなぜ社会は抱え込もうとするのでしょうか。それは多様性を抱え込んだ社会は、

 

  柔軟性が生まれ前代未聞の事態にも対応がしやすく生存率が高まるからです。

 

 生物で考えてみましょう。単細胞で遺伝子をコピーして増殖する生物は、ものすごく効率的に個体を増やせます。しかし、最大の弱点は何かウィルス性の病気が流行った時に一発で全滅する可能性もかなり高いです。他には極端な例ですが、日本で米食しか許さない法律が出来たとします(つまり食文化の多様性が無い状態と考えて下さい)しかし、何かの拍子で米に罹る病気が流行り米が全滅したら同時に日本人の主食は消えます。食文化の多様性があれば、米が絶滅するような事があっても麺を食べたりナンを食べる事が出来ます。

 

「多様性を抱え込む事」は社会や組織が生き延びる確率を上げる合理的な選択なのです。多様性社会建設のためにコストを払うのはこのためです。