北東アジアを考えよう!

北東アジア(日中韓台朝)をメインに、ユーラシアを包括的に捉えよう。 

広東省広州のリトルアフリカ、小北を行く

君は中国のアフリカを知っているか!?

 

 広東省広州、小北という地下鉄駅付近一帯。アフリカや中東の人が集まり独特の街並みを形成しているエリアが存在しています。その街並みから「リトルアフリカ」や「チョコレートタウン」という俗称で呼ばれる事もあります。以下はその周囲の写真です。私が2018年7月5日と7月8日の二回に分けて訪れた時の写真です。

 

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 極彩色のアフリカ風衣装をまとった婦人

 

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頭でモノを運ぶアフリカの婦人

 

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目立つ「アフリカンフード」の表記

 

いかがでしょうか?この三枚はいずれも中国の広東省広州の景色です。

 

 

このリトルアフリカは近年、日本の中国研究者やノンフィクションライターなど様々な人による報告や分析が挙がっている場所で、ある意味「中国のグローバル化の最前線」「中国とアフリカ関係の一番アツい現場」と言っても過言ではないそんな場所です。そんな場所なので様々な専門家の方が著作で言及されています。以下はその参考です。

 

さいはての中国 (小学館新書)

さいはての中国 (小学館新書)

 

 

 

 

アジアで出会ったアフリカ人―タンザニア人交易人の移動とコミュニティ

アジアで出会ったアフリカ人―タンザニア人交易人の移動とコミュニティ

 

 

 

アフリカ感の濃度は義烏以上

 

 中国でアフリカ人が多く集まっている街に浙江省の義烏という場所があります。そこは世界の生活雑貨市場という事で、アフリカ人のみならず中央アジアや東欧や東南アジアの方もいます。なので「アフリカ感の濃度」でいうと相対的に薄まっていると個人的に感じています。ですが、広東省のリトルアフリカがよりアフリカや中東に特化している印象で、「アフリカ感の濃度」でいうと広東省のリトルアフリカの方が上です。更に密集した建物が形成する薄暗い狭い路地にアフリカっぽい極彩色の衣装をまとった人が行き交うので、そのギャップがまた独特の雰囲気を街にもたらしているように感じました。個人的に映画『ブラック・パンサー』の続編のロケ地にここを推薦したいです。

 

 

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 2018年7月8日撮影 現地の小学校の制服を着たアフリカ人の親子。子供のほうが中国語で習った歌を流暢に歌いながら道を歩いていた。他にも流暢な中国語で中国人とコミュニケーションをとるアフリカ人の子供を見た。

 

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なぜ?ここに集うようになったか?

 

 広東省広州はもともと国際的に開かれた場所で、古来より海のシルクロードでアラブ世界との繋がりもありました。そのため、中国の最古のモスクがあったりチャイナムスリムも比較的多く住んでいます。リトルアフリカの周辺にも回族ウイグル族が経営しているレストランや精肉店が多数点在していました。文化的にアフリカやアラブ世界の住人にとってハードルが低い土地と言えるかもしれません。

 しかし、直接的な原因は1997年のアジア通貨危機と言われています。東南アジアや香港で商売していたアフリカ人などがその影響を受け、中国本土に移ってきたのが現在のリトルアフリカの形成の始まりのようです。その後、中国経済の順調な成長や中国・アフリカ関係の発展などが追い風となり、アフリカや中東の人々が集まり形成されたのが今日の広東省広州小北のリトルアフリカです。

 

 

 

以下は参考記事

記事ではリトルアフリカのアフリカ人のビジネスの様子や

街がどのように形成され今日に至るか解説されている。

 

非洲人在广州:跨国“倒爷”的淘金梦

https://www.huxiu.com/article/261559.html