成昆鉄道とタンザン鉄道 東アジアとアフリカの技術転移
中国・アフリカ友好の象徴
中国とアフリカの関係を勉強していると必ずといっていいほど「タンザン鉄道」の存在が言及されます。タンザン鉄道とは1970年から1976年にかけて中国がタンザニアとザンビアの間に敷いた鉄道です。
あの時代、中国も文革期で決して豊かな国ではありませんでした。それに加え国際社会での立場も厳しいモノでした。ではなぜそんな国があの時代にアフリカ援助を行ったのか?そもそも援助できるだけの技術水準があったのか?今回の記事はそんな疑問をタンザン鉄道にかんする学術研究論文を引用して解き明かしたいと思います。
中国の鉄道史
中国の鉄道技術の発展には意外な歴史があります。西欧列強などに反植民地化される過程で様々な鉄道技術が伝わっています。第二次世界大戦が終戦し中国が建国され朝鮮戦争を経たあたりから中国はソ連から技術的な援助をうけます。1952年に中国建国初の鉄道「成渝铁路」が開通されます。この鉄道は四川省の成都と重慶を結ぶ鉄道です。その後、中国は着々と鉄道を整備していきます。1960年代後半に入り、中国は西南”三銭”に次々と鉄道を整備していきます。その結果、1970年に成都と昆明を結ぶ完全中国国産の成昆鉄道が開通されます。
これらの経験があったので中国は「タンザン鉄道」を建設できたのです!
※引用
成昆鉄道とタンザン鉄道
事実としてタンザン鉄道には成昆鉄道の建設に関わった人員が多数参加したようです。タンザン鉄道建設への人員選抜では成昆鉄道建設に関わった第二鉄路局のスタッフがかなり選抜されたようで、合計204人の成昆鉄道に関わった人員がタンザン鉄道建設にも派遣されました。その他にも朝鮮戦争の第三鉄路局の人員も参加しました。つまり成昆鉄道とタンザン鉄道は兄弟のような関係なのです。
タンザン鉄道珍道中
このタンザン鉄道建設の過程で中国人スタッフは様々な経験を積みます。彼らは広州から香港に入り東南アジアを経てアフリカへ旅立ちます。香港やシンガポールを見て中国本土との経済格差を実感したりしました。そのシンガポールではソ連の船籍と対峙し緊張する場面に遭遇したりもして、世界情勢の中の中国の位置を感じさせたりしたようです。
またアフリカでいざ鉄道修理に取り掛かろうとするときにも様々な困難と挑戦がありました。中国人スタッフはこのアフリカ鉄道援助珍道中のさなかイギリスや日本の機械を修理したりしながら様々な技術的経験を積んだようです。
これらの事から先進国⇔中国⇔アフリカで技術転移が発生した事が考えられないでしょうか。
余談になりますが、雲南鉄道博物館には日本の川崎造船が作った機関車が現在も所蔵されています。個人的な予想の域を出ませんが成昆鉄道からタンザン鉄道敷設には日本の鉄道技術も大きな役割を果たしたのではないか?と考えています。
2019年7月14日 筆者撮影
解説には1958年から1985年まで雲南鉄道で運営されていたとある。
引用論文
赶在时间的前面:坦赞铁路修建期间的施工和现代化问题
蒙洁梅 (Jamie Monson)
美国卡尔顿大学(Carleton Coolege)
全克林 译
P56-57 P66
余談
先進国から中国への技術転移に関して。
過去NHKでも放送された「レッドチルドレン」の存在が参考になると思います。
毛沢東の理想に共感した欧州人などが中国に来て都市建設などに貢献した事が語られます。
日本語で読めるタンザン鉄道に関する文章は以下の書籍に収録
フロンティアと国際社会の中国文化大革命 ― いまなお中国と世界を呪縛する50年前の歴史
- 作者: 楊海英、谷川真一、ハラバル、ハスチムガ、劉燕子、,馬場公彦、ウスビ・サコ、福岡愛子、上利博規、細谷広美,楊海英(YANG Haiying)
- 出版社/メーカー: 集広舎
- 発売日: 2016/11/19
- メディア: 新書
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P189 第7章
文化大革命期における中国援助とアフリカ外交の役割
ウスビ・サコ