北東アジアを考えよう!

北東アジア(日中韓台朝)をメインに、ユーラシアを包括的に捉えよう。 

「台湾アイデンティティ」を分析してみる。”台湾独立”ってどういう事?

この記事では、台湾国内の歴史に言及しながら台湾アイデンティティを分析し

「台湾独立」について考えます。

 

日中台の外交史や国際関係については以下の記事を参考にしてみてください。

syuturumu.hatenablog.com

 

 

今回の記事でも以下の定義を採用します。

 

「シナ」は差別的な意味ではなく。現行の中華人民共和国の主権が及ぶ範囲の「地名」

 

「台湾」は「中華民国台湾」の主権範囲の「地名」

 

 ”中国”は1911年以降の領域国民国家として「シナ大陸」で始まった近代国家

 

シナ大陸の「中華民国」と「中華人民共和国」はおなじ中国だが、後者を「新中国」とする。

 

「中華圏」を、主に漢字を使い「シナ大陸発祥の文明」を共有している範囲の事であり、 「中華人民共和国」・「中華民国台湾」・「中華人民共和国特別行政区香港」・「中華人民共和国特別行政区澳門」を包括する概念とする。

 

 

 

台湾の歴史 台湾の民族とは?

 

 まずは台湾の歴史をたどりながら、台湾にいる”民族”について言及します。初めて台湾にアクセスした西欧列強はスペインです。その後にオランダが入ってきます。オランダもゼーランディア城という要塞を作ったりしました。これが16世紀から17世紀の話です。それ以前にも台湾には原住民と呼ばれる方々が住んでいました。この方々達は、独自の言葉を持ち、漢文化や大和文化とも全く異なる風習を持っています。

 

台湾原住民の一つ、セデック族をめぐる物語は映画にもなりました。

 

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 シナ大陸で明朝が崩壊(1644)するタイミングで、本格的に台湾にも漢民族や漢系文化が入ってきます。そうして入ってきた漢民族は「清を倒して明を復活させよう」と試みたモノたちもいます。その後、鄭成功が「反清復明運動」を率いオランダを追い出します。台湾はこのタイミングで初めて本格的に漢民族政権によって統治されました。しかし、その後すぐに清朝によって鄭氏台湾は討伐され、台湾は清朝によって統治されます

 

 

日本統治時代

 台湾が日本に統治され、皇民化政策が敷かれます。この時点で独自のアイデンティティを持っていた諸民族は、日本国民としてのアイデンティティを強要される事になります。反発する人も勿論いましたがや何とか上手くやっていこうとする人もいました。上にあげたセッデク・バレの小説版にはそういった描写があります。また統治する日本人の中にも、諸民族にしっかりと向き合っていく人もいれば、台湾の諸民族を纏めて見下す人もいました。

 

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戦時中は台湾人も日本兵として戦争も参加しました。そして、その魂は靖国神社に祀られたりもします。

 

 

犬が去って豚が来た

 

 日本が敗戦し、台湾が中華民国に返され、内戦で中華民国が負け台湾にやってきます。問題はここから起きます。中華民国に返還されるまで台湾人は「日本人」としての教育を受けていました。さらに、内戦で敗北してやってきた国民党は腐敗し、現地の住民のアイデンティティなどを全く気にかけない統治を敷きました。

よって、「日本人は煩かったがインフラや近代教育をしてくれた。しかし、国民党は腐敗し役にも立たず煩いだけだ。犬(日本)が去って豚(国民党)がきた」と言われます。

 

ここで本省人(国民党以前から現地に住んでいた人)と外省人という違いが生まれます。

 

この二者は流血を伴う衝突事件も起こしています。その代表例が「2・28事件」です。

 

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因みにこの事件の犠牲者には沖縄人も含まれています。

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 国民党の圧政よりも日本の方がマシだった。そういった感情が本省人の打倒国民党感情に繋がり、日本のナショナリストや保守派に合流していきます。そうした人たちが「中華民国の屋号を外し台湾は台湾である!台湾共和国を建国する」という考えに至ったのが、台湾独立派です。

 その後、新中国での文革発動とベトナム戦争などの反米機運などのタイミングが重なり、伝統的な中華文化や漢文化に価値を見出し、国民党を中心にそれをアイデンティティとしようとする思想潮流も一時期はありました。そうした経緯もあって、中華民国台湾ではシナ本土よりも、中華文化の礼儀や宗教的な価値観が色濃く残ったケースもあります。

 時代が移り変わり、本省人で国民党に所属していた李登輝氏の総統時代に、台湾では一気に民主化が進み、同時に「台湾アイデンティティ」を強化する動きがありました。李登輝氏はあくまで「中華民国台湾」と「新中国」は国家として別であるというスタンスを保ちながら、シナ大陸発祥の礼儀や文明も尊重して、国を作っていきます。

 台湾はその後、順調に民主化を推進し、「アジアの小四龍」として高度経済成長を遂げます。それと同時に国内の様々な問題や対立を解消しながら、そこに住む人たちは独自の「台湾アイデンティティ」を作り上げていきます

 

 

 

 

 台湾アイデンティティやヒマワリ学生運動についての記述あり。