「民・主・主・義」を考える
選挙ですね
参議院選挙が近いですね。それに加え図らずも東京都知事選も行われる事になりました。そこで「民主主義」について考えてみたいと思います。
Democracyの始まり
この「民・主・主・義」という四文字熟語の英語訳として「Democracy」を私たちは日常で何気なく使っていますが、そのルーツを確認すると興味深い事が分かってきます。ではまず簡単に「Democracy」のルーツを紐解きましょう。
この「Democracy」のルーツは古代のギリシャまで遡ります。古代ギリシャ語の
「デーモス」という「人民や民衆」を意味する言葉と
「クラトス」という「支配や権力」を意味する言葉の合体で、日本語に直訳すると
「人民権力・民衆支配」という意味になります。
この単語はその後。ギリシャの衰退の過程で「愚民政治」というニュアンスを帯びるようになるようです。プラトンやアリストテレスが古代ギリシャの「デモクラトス」を批判していた事をご存じの方はいると思います。
つまり、古代から「デモクラトス」には何度も批判や検討が加えられ、改良されていったという事が分かると思います。さて時代を一気に飛ばしましょう。
今日的な「Democracy」の始まりは、近代に西欧で起きた市民革命が元です。フランス革命に始まり、イギリス、そしてアメリカとそれぞれの国で「Democracy」が生まれ運用されていきます。ここで大事なのは
「Democracy」がそれぞれの国でそれぞれ違う形態で運用されていったという点です。
イギリスの立憲君主制の下でのデモクラシー
フランスの伝統的な君主が打倒されたデモクラシー
アメリカの君主など最初からない純血統のデモクラシー
同じ白人国家の「デモクラシー」でもバックグラウンドやその来歴が異なるという事が分かっていただければ幸いです。では次は「日本のデモクラシー」について確認しましょう。
「民・主・主・義」の始まり
西欧米から遅れて日本も近代化をします。その際に日本は西欧米の優れた技術や政治概念を輸入します。沢山の「翻訳」が行われたわけです。しかし、その作業は順調ではなく色々と、先人は悩みながら行っていきました。ここで考えたいのは、
なぜ悩むのか?という事です。日本には伝統的な文字で「ひらがな」と「カタカナ」があります。「Democracy」であれば、聞いてそのまま「デモクラシー」と表記してしまえばいいと思いませんか?現に「大正デモクラシー」のようにそのまま使っているではありませんか?
この視点はあくまで今の僕たちから見た時の視点です
当時、初めて「Democracy」を聞いてその説明を受けた翻訳家たちはその概念についてよく理解できていなかったようです。それもそのはずで
「Democracy」に相当する概念は日本をはじめ東アジア一帯には存在しない概念でした。
なので「Democracy」を日本語にするときにある人は「下剋上」という漢字を当てて翻訳しようとしたようです。下の者の一般民衆がお上に意見を述べて、最終的には倒してしまうので「下剋上」でもあながち間違えではないと、私は思いますが、翻訳家の先人はどうもしっくりこなかったようです。そこで先人たちは表意文字であり外国語である中国語の漢字を使って、オリジナルに創作しました。それが今の「民主主義」です。
民主主義=Democracy?
さて、ここで古代ギリシャの「デモクラトス」と「デモクラシー」と「民主主義」は必ずしもイコールではない事がお分かりでしょうか。
近代以前にも、一般民衆の意思を集約しそれを政治に反映させるという形そのものはありました。しかし、それまでは、国民国家(Nation State)というモノはありませんでしたし、もちろん各種のメディア技術もありませんでした。
また西欧米間でも違っていた「Democracy」を東洋に翻訳し、「民主主義」を創造する過程でも意味合いがズレました。
そこから考えを進めると、日本の「民主主義」について考える時はただ漠然と西欧米をお手本にするだけではなく、「民・主・主・義」という四つの漢字に込められた意義や、その考えを持った経緯、そして自分たち日本人の国家感などを様々な角度から確認する必要があると思います。
次回のブログ記事では、東アジア的な「革命」の概念と、中国の民主化について書籍と雑誌を参考にしながら、日本の民主主義にまつわる様々を考察したいと思います。
以下の書籍を参考しました。
P90