香港を「難民・移民」をキーワードに切り込んでみる
旅行で香港に行ってました
香港に行ってました。大学のゼミ合宿で僕が漢語が分かるという事で引率みたいな事をしていました。僕自身も雨傘革命や李波事件など香港関連で気になる話題が沢山あったので、それらも同時に見てきました。
少し話が前後しますが、
僕自身は、香港返還の時は中国に住んでいました。香港返還時の街の雰囲気は今でも覚えています。街中がお祭り騒ぎでとにかく明るかった印象です。64天安門事件のすぐ後でしたが、中国もこれからで日本もまだそこまで落ちぶれていなかったので、皆が楽観だった印象です。
香港の歴史=難民の歴史かもしれない
香港には日本からの観光客も沢山いました。
ですが香港を”中国の一部”か”中国であって中国でない地域”か、よく分かっていない人が殆どだと思います。
引率した大学生たちに「香港は中国の一部か、そうでないか」を聞いてみたら、半々に分かれました。
僕自身もよく分かっていません
「香港は難解な書である」と初代行政長官の董建華も言っているので、分からないモノなのかも知れません。
しかし、敢えてそんな香港をある分野から眺めてみたいと思います。
難民問題という立場です。
香港は避難所だった
香港はイギリス統治の下で資本主義と自由主義の論理で動いていました。それは中国返還後も一国二制度の下で維持されていました。
そういった場所だったので、香港は中国大陸の政治動乱から逃れたい人たちが集まってきます。
メイホーユースホステル そこに隣接されている博物館
展示内容
このユースホステルは、中国大陸から来た人たちのために準備された公共団地をリノベーションしたホステルです。
香港は1950年代から経済的離陸が始まりアジア四小龍と呼ばれるようになります。その経済的離陸の労働力となったのは様々な経緯で香港に来た中国人移民や難民でした。
難民や移民から香港人へ
香港では「自分を中国人だと思うか、香港人だと思うか」という調査のデータがあります。上記のような経緯があるため、確かに初期の香港では自分の事を、
「中国の香港人であるor中国人であると」と考える人が多数を占めていました。
しかし時間が経ち、純粋に香港の中で育つ人が多くなっていく中で上の答えは徐々に減っていきます。そこに更に、中国人のマナーの悪さや、中央政府の人権侵害などの要因が加わり、香港人の心は益々中国から離れていきました。
香港人は中国共産党が嫌いでも中国人や中国への同情心や愛国心を持っているというのは、完全に古いイメージです。
恐らく、これと同じような事が難民や移民問題で揺れるEUでも将来起きるでしょう。
例えば、
シリア人「お前は俺と同じシリア人だよな!」
EU移民シリア人「は?俺はシリア系だけど、EU人だ。お前と一緒にするな」
こんな会話を聞くのも珍しい光景では無くなっていくでしょう。否、もうすでに世界各地でこうした、前の時代には考えにくかった社会の分断線が生まれつつあります。
以下を参考にしました。
こちらの映画も香港の歴史を追体験できます。