上海協力機構の基礎の基礎
上海協力機構を考察する。
中国のグローバル・インパクトや海外進出がニュースを騒がしています。特に南シナ海や東シナ海の動向、AIIBや一路一帯、新シルクロード構想などはTVを始め各種メディアでも報道されています。しかし、中国の海外進出を語る上で欠かせないある組織の事は全く報道されていません。その組織とは「上海協力機構」です。
この組織は94年に設立された「上海ファイブ」から発展を遂げた組織です。
中国、 ロシア、 カザフスタン、 キルギス、 タジキスタ ンの5ヵ国の領土問題の安定や、イスラム過激派によるテロ防止などを目的としています。その後、ウズベキスタンを加え、「上海協力機構」に変わります。さらにオブザーバーとして、アフガニスタン・ベラルーシ・インド・イラン・モンゴル・パキスタンが加わります。対話パートナーとして、アゼルバイジャン・アルメニア・カンボジア・ネパール・トルコ・スリランカが参加しています。旧ソ連や社会主義陣営が多い事と、中国・ロシア・インド・パキスタンが核兵器を保持している事が特徴だと思います。イランの核兵器はまだ確認されていません。ですが欧米との核開発最終合意に至ったので、今後ISの動向によって核兵器を持つ可能性はあります。
ユーラシアの多国間協力組織で核保有国の集団。それが「上海協力機構」です。更にここにAIIBの創設メンバーも重ねてみてもいいかもしれません。
「上海協力機構」の始まりは中国とロシアの関係。
中国とロシアはとても関係がいいイメージがありますが、歴史を振り返ると、紆余曲折ありました。毛里和子氏によれば、
① 友 好と同盟の1950年代
② 相互不信、 不和、 イ デオロギー対立の50年代末から60年代半ばまで
③「敵国」 同士として全面的に対立した60年代 末から70年代
④ 国家間・共産党間の関係正 常化を模索した80年代、
⑤ 双方が、 善隣・友 好関係をうち立てようとした90年代
といった具合に移り変わっていきました。その間にどういった事が起きたかと言いますと、ソ連による中国とモンゴル国境地帯への軍隊の進軍。ソ連のベトナム支援による、中国南部辺境地帯の混乱。ソ連のアフガニスタン侵攻の中国西部国境地帯の混乱が起こりました。そして、ソ連が崩壊し、カザフスタン・キルギスタン・タジキスタンが独立し、新しい国境問題が起こります。「上海ファイブ」は中国とロシア、中央アジア諸国の問題を解決し、対話を促す機関として成立しました。
「上海ファイブから協力機構。そして進化」
これら国家との国境紛争を回避するために、「上海ファイブ」は確実に成果を上げていきます。そしてウズベキスタンが加入した事によって、この組織の性質が変わっていきます。ウズベキスタンは中国と国境紛争を抱えていません。ウズベキスタンの加入で、この組織から「国境紛争」の解決と安定と共に、中央アジア一帯のイスラム過激派対策や、集団安全保障といった様相を呈してきます。中国にとって、ウイグル族過激派のアフガニスタン等からの流入の阻止や、ウイグル族の政治亡命の阻止などの役割を果たします。BRICS諸国の経済的台頭も、この機関の結びつきを強めていきます。ロシア主導の「ユーラシア経済同盟」や中国の「陸の新シルクロード」などはこの組織の活動の積み重ねの成果と評価できます。
「上海協力機構」の可能性
この「上海協力機構」を文明論という視点を加えてみると、面白い事が見えてきます。まず、インドとパキスタンと中国の関係を見てみましょう。インドと中国は国境紛争を抱え、互いに国境を巡って紛争も起こしてます。昨日も、国境地帯に中国人民解放軍が侵入しています。
そして中印パもそれぞれ国境紛争を抱えています。また、これらの国家群は、
儒教文化圏とヒンドゥー文化圏とイスラム文化圏と全く違った文明国家群です。ここにロシアや中央アジア、モンゴルも加わっているので、西欧米以外のかなり幅広い文明圏が参加している国際機関でもあります。
このロシア文明圏や儒教文明、イスラム文明、仏教やヒンドゥーを包括するユーラシアを主軸にした連帯というのは、近代以降では初めてになります。近代以前は唯一「モンゴル文明」がそれを可能にしました。「上海協力機構」の動きを把握するためにはモンゴル帝国の子孫たちのDNAも解読する必要があります。
中国のネットからの広いモノです。
この図では、上海協力機構に参加している(オブザーバーも含めて)国がかつての、モンゴル帝国のそれぞれの(ハン国)に相当しているという図です。
以下の文章から引用させてもらいました。
上海協力機構(SCO) 創設の経緯と課題
島村智子http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200612_671/067104.pdf