北東アジアを考えよう!

北東アジア(日中韓台朝)をメインに、ユーラシアを包括的に捉えよう。 

日中にとっての朝鮮半島情勢

相変わらず騒がしておりますが

 

 相変わらず、朝鮮半島が騒がしいです。北朝鮮による核実験や弾道ミサイルの発射。それによるTHAAD配備。それに呼応して中韓関係や中韓米ロ関係の悪化と色々と事態が動いています。そんな中昨日「BSプライム・ニュース」で北朝鮮情勢が特集され、その中で興味深い指摘があったので、それも踏まえて北朝鮮情勢について纏めていきます。

 

因みに放送されたVTRは以下より見られます。

 2016/10/10 『北朝鮮祝賀日に何が? 訪朝教授が見た金体制』

www.bsfuji.tv

 

 

 

 

地理としての朝鮮半島

 そもそも朝鮮半島というのは古代から現代まで、日中にとって中々扱いずらい地域でした。なぜなら朝鮮半島はお互いに異民族が侵攻に来る時の橋みたいな地域でした。

 日本にとって分かりやすい例は元寇です。モンゴル軍は朝鮮半島から対馬を通って日本に来ようとします。また中国から見れば、中世豊臣秀吉朝鮮出兵豊臣秀吉は中国大陸まで進もうとしていたといわれている)に際して明朝は援軍を出してせき止めました。近代日清戦争朝鮮半島で闘い、20世紀朝鮮戦争ではアメリカと朝鮮半島で戦争します。つまり、朝鮮半島という地理が持っている性質として、

 

中国にとって太平洋の異民族勢力が入ってくる通り道であり

日本にとってシナ大陸から異民族勢力が通ってくる道なのです

 

 

朝鮮半島の統一は皆が望むが実行されるのは御免だ

 このような性質があるので、ある意味で言うと現在の状況はある意味、中国にとっても日本にとってもベターな状況です。仮に、韓国・アメリカ主導で北進統一されれば、中国やロシアにとって軍事的脅威になり、再び太平洋勢力が大陸への干渉を強める事がしやすくなります。反対に、朝鮮主導の南進統一になれば、日本に対する軍事的圧力がより強くなります。

 

以下の記事も参考にしてみて下さい。

jp.sputniknews.com

 

 

AIIBと一帯一路の関与

 上記のような理由から、朝鮮半島有事に対する危機管理や保障は上手く動いていません 。そこでAIIBが重要な役割を担う可能性があります。

 朝鮮半島の統一をドイツ型を持ち出して考える事は多々ありますが、現実的に難しいです。更に韓国と朝鮮の経済格差と現状の韓国の国力を考えると支えきれません。そのコストを如何に分散するかというのは北東アジア情勢の大きなキモになります。もちろん、ADBやIMFと言ったアメリカ主導の銀行も融資や援助をする事になると思います。

 また、北朝鮮と国境を接している東三省の昨今の経済成長率が芳しくありません。これには、習近平による国内政策もありますが、北朝鮮に対する経済制裁の影響もあります。仮に、北朝鮮が開放され東北三省が自由に貿易ができるようになれば、これは中国にとってもいい事です。米韓による北進統一に拒否感がある中国にとっての理想は、少なくとも北朝鮮ベトナムラオス、昨今のミャンマーに近づきながら、朝鮮半島が中国にとっての第二・第三の香港や台湾のような役割を担う事だと思います。

 朝鮮が完全崩壊する統一のシナリオにしても、朝鮮が市場化自由化してソフトランディングする統一のシナリオにしても、莫大な費用が必要です。その費用の保障としてAIIB、中国が担う役割は大きいです。もちろん、韓国も朝鮮も何とかして金を引っ張ってくるような戦略を練るはずです。

 

 

ユーラシア横断鉄道敷設計画が朝鮮半島に及ぼす影響に関する報道です。

www.youtube.com

 

 

 

 

今回の原稿は日中にとっての朝鮮半島を考察しましたが、もちろん、朝鮮半島朝鮮民族のモノであり、韓国も朝鮮も別に日本と中国のために存在しているわけではありません。もしかしたら平和統一のために日中双方の政府にとって不愉快な事も十分起き得ます。

 

この原稿を見て不愉快な思いをされた方がいれば批判を甘んじて受けます。

 

 

 

参考資料

中朝関係を整理したい方はこんな本があります。興味がある方は読んでみて下さい。

 

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(上)

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(上)

 

 

 

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(下)

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(下)

 

 

 

北朝鮮の行動原理である主体思想がどのような経緯で作られたか、少しだけ語られます。

www.youtube.com

 

AIIBが北朝鮮危機に対する保障になりうる可能性について、柯隆氏が言及。

 

中国年鑑 2016

中国年鑑 2016

 

 

 

 

中国と日本をめぐる社会とか自由に関する皮肉な話。

日本って“ジユウ”なの?

 

   中国を経験した日本人どうしで飲み会を開いたり、インターネットで会話すると、こんな話題になる事が多いです。

 

「なんか、日本って自由なんだけど自由じゃない感じ?中国は自由じゃないんだけど自由って感じ」

 

 一般的に自由の無い一党独裁国家の中国で、なぜか日本社会にない不思議な自由を味わう経験する事が多々あるようです。雲南省の辺境のホータンプー村の日本人は

「中国社会や政治は自由(リベラル)じゃないんだけど、一般生活では自由(フリーダム)で、日本よりも中国の方が気楽」と言ったような事を述べていたりします。またポーランドソ連影響下にあった時代に日本を訪れた、レフ・ワレサ「日本は社会主義が成功した唯一の例だ」と述べていたりしています。昨今では自民党改憲草案がとても中国的と言いますか前近代的であることが指摘されたりしています。以下の私のブログ記事を参考にしてみて下さい。http://syuturumu.hatenablog.com/entries/2016/10/07

 さて、この不気味な状態を考察する際にいくつかのキーワードが考え方がヒントになると思います。それは「中国化する日本」です

 

 

中華文明の端・太平洋文明の端

 

 私たちは一般的に歴史や現象を「近代化=西欧化・欧米化」で捉えるわけですが、「中国化する日本」とは前近代における先進文明、もしくは亜近代文明である「中国文明化」を意識しようというわけです。「中国化」と言いますと少々語弊が生じるので、言い方を変えますと「伝統的な儒教を基にした統治強化」と言ったほうがしっくりくるかもしれません。実をいうとこうした歴史観や日本社会勘は結構古くから存在します。最近でも以下のような本が出されました。

 

 

 

本書の内容を説明しますと、「近代は中国が既に中世までに実現し、日本の歴史は近代化=中国化とそうでない時期を一定のリズムで繰り返している」というモノです。

 

 今の日本で「日本は中国と一衣帯水の隣国である」「日本は中国からずっとモノ事を学んできた」というのは少々勇気がいる事ですが、歴史の事実として日本は漢字を始め中国の古代文明を様々な形で吸収しました。嫌でも、無意識のレベルで日本人の思想や行動原理、政治思想に「中華文明」や「儒教文明」が組み込まれていると考えた方がいいようです。

しかし、日本は有色人種初の先進国として初めて近代化に成功しますが、そのキッカケがアメリカとの接触です。また、「菊と刀」によると日本の天皇崇拝には、ミクロネシアポリネシアの太平洋の島国との共通性が見いだせるようです。つまり日本を考えるには、「中華文明の端としての日本」と「太平洋文明の端としての日本」をバランスよく考察しなくてはいけないと思います。

                         日本の官僚=儒教システム?

 

 実をいうと、日本の官僚システムはとても儒教的と言われています。官僚が非常に実力主義で登用されます。そのルーツを明治維新にもとめる事が出来るようです。明治維新は「維新」の文字が示す通り「維」持と革「新」が混ざったような概念で、直接「革命」とは表せないような現象です。Revolutionと完全なイコールで結べません。なぜでしょうか。

 

 それは明治維新が「下からの近代化」ではなく、武士などのエリート階級が、欧米列強の脅威に対抗するために天皇や古いシステムを復古(維持)しながら、士農工商などの身分制の廃止や国語教育や近代軍隊など、国民国家に向けた諸改革を断行します。つまり、尊王攘夷日本民族を作り上げその伝統や連続性を守りながら外的圧力に対抗するために社会システムを革新するという、欧米先進国では見られないような形で近代化していきます。この天皇を維持する武家などのエリート層、彼らの教養は漢文や東洋思想です。「攘夷」という言葉は元々、中華世界を中心に見た時の野蛮人を表す概念です。さらに、これらの層は江戸時代の末期には行政管理を主に担っていました。西欧由来の概念を輸入するときもわざわざ漢字(Chinese characterを使って創造します。こうした事からも、日本の社会や政治を「脱亜入欧」「近代化=欧米化」の枠組みだけで考えては限界がある事は明らかだと思います。

 実をいうと中国的な特徴というのは戦後の政治現象にも見られます。国民に選ばれた政治家よりも官僚や省庁の力が反映されやすかったり、党内の派閥争い(中国的にいうと権力闘争でしょうか?)や党派性が主に政治に影響を与えたりします。また、政治家も政治の手腕や思想などではなく「良い人っぽい」「キャラクター」が立っているといった、道徳や人情で支持される傾向があります。これは中国政治の「徳治」に似た節があります。タレント議員の多さや、小泉政権自民党政権を考えてみればあながち外れていないと思います。

 

(なぜ”失われた20年”を上手く脱却できていない政党がここまで粘り強く支持されるかもここにヒントがあるような気がします。ただ旧民主党の悲惨なまでの統治能力の無さなどを思えば、自民党が支持されるのも仕方ない気がしますが)

 

日本は中国と同じではありません。基本的に自由な国で、人権も保障されます。しかし、どうも、皮肉にも同じような所があるのも事実だと思います。お互いに自分は相手と違う!と主張するほど相手の存在が際立つところも共通していると思います。

 

参考書籍

 

 

 冒頭のホータンプー村の話はこの本にあります。

 

日本社会の奇妙な特質についての考察は様々な本がありますが、主に以下の二冊を参考にしました。

 

アジア三国志

アジア三国志

 

 第4章 日本ーパワフル、脆弱、老齢化

P114~118

 

 

中国が世界をリードするとき・上:西洋世界の終焉と新たなグローバル秩序の始まり

中国が世界をリードするとき・上:西洋世界の終焉と新たなグローバル秩序の始まり

 

 第3章 日本ー西洋ではない近代

P65~78

 

 

歴史に「亜近代」という区分を設定するべきだと提唱している

東大講義録 ―文明を解く―

東大講義録 ―文明を解く―

 

 

 

日本と中国をめぐる憲法に関する皮肉なお話。 9条の話じゃないよ♡

通常国会が始まりましたね

 

 

 本国会で憲法改正に向けての議論がより加速化する事になりますが、「中国」に片足を入れながら生きている人間としてどうしても気になる事があります。それは

自民党憲法改正草案が現在の中華人民共和国憲法とかなり似ている」という点です。「そんな筈はない。日本は中国や北朝鮮の脅威に対抗するために憲法を変えるんだ!」「え?自民党改憲って、自衛隊が国軍になって武装中立に近づくことじゃないの?」と思いの方は、以下から自民党改憲草案の全文を見てみて下さい。

 

https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf

 

 

その前文で「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」するべきだという事が高らかにうたわれています。個別の条文を見ても、国民に一定の態度を要求している部分が現行憲法よりも格段に増加しています。また1021では現憲法では公務員のみが追っている憲法尊重義務を全国民が負う事になっているため、これらの「態度の要求」も法律により具体化されることで明確に憲法上の義務となり得る事が指摘されています

一方の中華人民共和国憲法の条文を一度でもご覧になれば、それが国から国民に当てた義務規定のオンパレードとなっていることに気づくでしょう。

中華人民共和国憲法 - 参考

 

 

また、自民党憲法草案の前文第三段落には

「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」

 

草案第24には

「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という文章があります。

 

すでに多くの人が指摘しているように、「和を尊ぶべし」といった道徳観念を憲法の条文に書き込むことは。国家権力を制限し人権(個人としての権利)を保障する、という近代的な立憲主義の考え方と基本的に相容れません。むしろ、国家機関が国民の道徳規範に対して何らかの規定を行い、「人民が守るべき道徳的規範」を政治的キャンペーンの形で広く国民に示すという、中華人民共和国の政治手法を彷彿とさせるものです。実際のところ、

 

中華人民共和国憲法493には、「父母は、未成年の子女を扶養・教育する義務を負い、成年の子女は、父母を扶養・援助する義務を負う」「家族が互いに助け合う」事を国民の義務とする条文が書き込まれています。

 

 

 さらに、自民党憲法草案第12には

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益および公の秩序に反してはならない

 

そして13には

「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益および公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」

と書かれ、国民の権利が、現行憲法のように「公共の福祉」ではなく、「公益」や「公の秩序」を優先すると明確に規定されています。

 このような「私」的な権利に対する「公」の利益や秩序を優先させる秩序概念も、伝統中国から現在の共産党統治に受け継がれているものと極めて似通っています。実際のところ、

 

中華人民共和国憲法51には

「中国公民は、その自由及び権利を行使するときには、国、社会及び集団の利益並び集団の利益並びに他の公民の適法な自由及び権利を損なってはならない」という自民党憲法草案とほぼ同じ内容の条文が存在しています。

 

 

このように、自民党改憲草案と現行の中華人民共和国憲法が似た性質を持っているという事をお分かりいただけたでしょうか。

 

 

 

 

因みに、憲法に関しする私の考えを大ざっぱに述べると、私は改憲派です。

憲法9条を変えて米軍依存を軽減し武装中立を進める。中国やロシアや韓国などの防衛大学校の相互交流を進めながら、緊急連絡網やホットラインの多チャンネル化を進める。核武装に関しては断固反対

 

同性婚を認めるために憲法の家族に関する条項を変える。

 

労働者の権利の保護と個人権の尊重を強化する。 

 

二重国籍やミックスルーツ、日本国内の異民族の存在を認める。

 

大ざっぱに説明するとこうした考えを持っています。

 

 

 

 自民党政権は、「自由・民主・人権・法治」の価値観を共有する国と協力関係を深める“価値観外交”を進めています。無論、中国はこれらの価値観を共有する国ではありません。しかし、自民党改憲草案が中国憲法と似たような価値観を持って設計されている事は上で述べました。この事実に関して、

 

特に「中国や北朝鮮の脅威に対抗するために憲法を変えるんだ」

「日本と中国が同じなわけがない」「愛国保自民党が真の日本を取り戻す」と考えて憲法改憲に賛成している方は何を思うのでしょうか。また自民党はこの草案に対して「中国憲法と似ている部分がある」と質問された場合はどう返答するのでしょうか。色々と気になる所です。

 

 

 

文章は以下の書籍から引用しました

 

引用箇所 P107~109

 

 

 

 

 

参考資料

 

中国と日本の憲法に関する議論は以下のような有識者も指摘しています。

 

鈴木 賢 「自民党草案の反立憲主義的性格について 中国憲法との比較の視点から」

http://www.juris.hokudai.ac.jp/ad/wp-content/uploads/sites/5/2016/01/booklet35_03.pdf

 

 

直近ではこうした議論もありました。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

憲法に「家族」「緊急事態条項」追加の意図は―自民党草案を読む - Yahoo!ニュース

 

www.jiji.com

 

 

 

また、自民党改憲草案に強く影響を与えているとされる日本会議に関しては以下の書籍があります。

 

 

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

 

 

日本独特の食肉文化の多様性。

知人に頼まれて、日本の事を紹介する文章を書きました。その中国語を載せておきます。検閲にかけられるような事があればこちらでも報告します。

 

 

日本独特的食肉习俗

 

 大家喜欢吃什么肉?牛,猪,还是鸡呢?现在世界上供人食用的主要肉类大概是牛、猪和鸡。但是世界上除了有吃牛、猪、鸡的风俗习惯,还有不吃,或者不能吃的风俗习惯。比如说,在印度信印度教的人不吃牛肉。伊斯兰教不吃猪肉。中国的国内也有信仰伊斯兰教的民族。维吾尔族和回族。他们的主要食肉风俗就是羊肉。中国国内还有吃驴肉、蛇肉、青蛙肉的饮食风俗。中国有食肉文化的多样性,这是非常好的。

  我为什么这么说呢?是因为牛肉生产的环境负荷非常大。首先,肉牛的饲料需要大量的粮食;除了种粮食需要大量的水之外,牛喝的水和屠宰的过程中使用的水也是不可无视的。其次,为运营屠宰场和牧场所需的石油等化工燃料。这些都需要耗费大量的天然资源。所以,假如全球人类都吃牛肉,可能地球会承受不住人类的欲望而导致崩溃。也就是说,尊敬食肉文化的多样性既有利于环境保护,同时又对建设多民族和谐社会做出贡献,真是好处多多呀。

  日本也有牛、猪、鸡以外的食肉风俗。特别是明治时期19世纪以前,日本的主要肉食品是牛、猪、鸡以外的动物。比如野猪、鹿、马、鲸鱼和海豚等。这样的习俗在日本称为【ジビエ Jibie】,汉语叫【野味】。在日本还有食虫习俗。现在还有可以体验这样的饮食习俗的餐厅。

 

 

 

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【山鲸鱼   寿喜烧   兽类餐厅】 东京都墨田区两国1-10-2

「山くじら すき焼き ももんじゃ

 

江户时期德川第五代将军纲吉发布了禁止吃兽类肉的《兽类怜悯令》。所以,一般老百姓把野猪叫【山鲸鱼】,私下里吃野猪。这家餐厅的名字就是源于这样的历史原因。

 

 

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生马肉片

 

http://www.douguo.com/diet/detail/950377

 

 

 

 

 这样的食肉习俗还反映在漫画的内容和描述里。在《黄金神威》里面就描述了日本北海道的少数民族风俗文化,并介绍了珍稀的日本猎人习俗。比如说,用兔子或松鼠做的肉丸子【チタタプ Qitatapu】,鹿肉火锅【ユクオウハ Yukuouha】。顺便说一下,这个日语是阿伊努民族的语言,所以一般的日本人也不懂它的意思。

这个漫画是讲述寻找黄金的冒险故事。退伍军人的主人公和一名阿伊努少女一起寻找阿伊努民族传说中的黄金宝藏。

 

 

f:id:syuturumu:20160930015807j:plain 鹿肉火锅「ユクオハウ Yukuohau」

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【ゴールデン・カムイ Golden Kamui 黄金神威】

http://manhua.dmzj.com/hjsw/37569.shtml#@page=1

 

 

 

 阿伊努民族是日本的一个少数民族。大概居住在北海道或运东俄罗斯地域。他们有和日本不同的独特的文化和语言。明治时期19世纪以后,阿伊努民族在当时日本政府的同化政策统治下,固有的独特文化和民族意识几乎消失殆尽。对于这一点研究者们忧心忡忡。更何况现在的国际潮流是强调要尊重原住民的权利。

 

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有食肉文化的多样性是非常好事。大家一边关注中国国内的食肉文化的多样性,然后,来日本旅游,试一试日本独特的食肉文化。

 

 

 

 

 

编辑后记

 

 这次介绍一下日本特色的食肉习俗和反映这一习俗的漫画。我在写这篇稿子时,北海道的大自然和阿伊努民族的浪漫历史画卷就浮现在我的脑海。同时,丰富又特色美味的野味肉类佳肴让我倍感饥饿。我吃过鹿肉和驴肉,这个那个都不错。但是我最喜欢是羊肉。烤羊肉串,羊肉泡馍,都喜欢。

 在日本有很多以饮食风俗为背景的漫画和电视剧。如果大家对日本的饮食文化有兴趣的话,建议你看一看下边的漫画。

 

 

 

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「台湾アイデンティティ」を分析してみる。”台湾独立”ってどういう事?

この記事では、台湾国内の歴史に言及しながら台湾アイデンティティを分析し

「台湾独立」について考えます。

 

日中台の外交史や国際関係については以下の記事を参考にしてみてください。

syuturumu.hatenablog.com

 

 

今回の記事でも以下の定義を採用します。

 

「シナ」は差別的な意味ではなく。現行の中華人民共和国の主権が及ぶ範囲の「地名」

 

「台湾」は「中華民国台湾」の主権範囲の「地名」

 

 ”中国”は1911年以降の領域国民国家として「シナ大陸」で始まった近代国家

 

シナ大陸の「中華民国」と「中華人民共和国」はおなじ中国だが、後者を「新中国」とする。

 

「中華圏」を、主に漢字を使い「シナ大陸発祥の文明」を共有している範囲の事であり、 「中華人民共和国」・「中華民国台湾」・「中華人民共和国特別行政区香港」・「中華人民共和国特別行政区澳門」を包括する概念とする。

 

 

 

台湾の歴史 台湾の民族とは?

 

 まずは台湾の歴史をたどりながら、台湾にいる”民族”について言及します。初めて台湾にアクセスした西欧列強はスペインです。その後にオランダが入ってきます。オランダもゼーランディア城という要塞を作ったりしました。これが16世紀から17世紀の話です。それ以前にも台湾には原住民と呼ばれる方々が住んでいました。この方々達は、独自の言葉を持ち、漢文化や大和文化とも全く異なる風習を持っています。

 

台湾原住民の一つ、セデック族をめぐる物語は映画にもなりました。

 

www.youtube.com

 

 

 シナ大陸で明朝が崩壊(1644)するタイミングで、本格的に台湾にも漢民族や漢系文化が入ってきます。そうして入ってきた漢民族は「清を倒して明を復活させよう」と試みたモノたちもいます。その後、鄭成功が「反清復明運動」を率いオランダを追い出します。台湾はこのタイミングで初めて本格的に漢民族政権によって統治されました。しかし、その後すぐに清朝によって鄭氏台湾は討伐され、台湾は清朝によって統治されます

 

 

日本統治時代

 台湾が日本に統治され、皇民化政策が敷かれます。この時点で独自のアイデンティティを持っていた諸民族は、日本国民としてのアイデンティティを強要される事になります。反発する人も勿論いましたがや何とか上手くやっていこうとする人もいました。上にあげたセッデク・バレの小説版にはそういった描写があります。また統治する日本人の中にも、諸民族にしっかりと向き合っていく人もいれば、台湾の諸民族を纏めて見下す人もいました。

 

www.youtube.com

 

 

戦時中は台湾人も日本兵として戦争も参加しました。そして、その魂は靖国神社に祀られたりもします。

 

 

犬が去って豚が来た

 

 日本が敗戦し、台湾が中華民国に返され、内戦で中華民国が負け台湾にやってきます。問題はここから起きます。中華民国に返還されるまで台湾人は「日本人」としての教育を受けていました。さらに、内戦で敗北してやってきた国民党は腐敗し、現地の住民のアイデンティティなどを全く気にかけない統治を敷きました。

よって、「日本人は煩かったがインフラや近代教育をしてくれた。しかし、国民党は腐敗し役にも立たず煩いだけだ。犬(日本)が去って豚(国民党)がきた」と言われます。

 

ここで本省人(国民党以前から現地に住んでいた人)と外省人という違いが生まれます。

 

この二者は流血を伴う衝突事件も起こしています。その代表例が「2・28事件」です。

 

www.youtube.com

 

因みにこの事件の犠牲者には沖縄人も含まれています。

www.okinawatimes.co.jp

 

 

 国民党の圧政よりも日本の方がマシだった。そういった感情が本省人の打倒国民党感情に繋がり、日本のナショナリストや保守派に合流していきます。そうした人たちが「中華民国の屋号を外し台湾は台湾である!台湾共和国を建国する」という考えに至ったのが、台湾独立派です。

 その後、新中国での文革発動とベトナム戦争などの反米機運などのタイミングが重なり、伝統的な中華文化や漢文化に価値を見出し、国民党を中心にそれをアイデンティティとしようとする思想潮流も一時期はありました。そうした経緯もあって、中華民国台湾ではシナ本土よりも、中華文化の礼儀や宗教的な価値観が色濃く残ったケースもあります。

 時代が移り変わり、本省人で国民党に所属していた李登輝氏の総統時代に、台湾では一気に民主化が進み、同時に「台湾アイデンティティ」を強化する動きがありました。李登輝氏はあくまで「中華民国台湾」と「新中国」は国家として別であるというスタンスを保ちながら、シナ大陸発祥の礼儀や文明も尊重して、国を作っていきます。

 台湾はその後、順調に民主化を推進し、「アジアの小四龍」として高度経済成長を遂げます。それと同時に国内の様々な問題や対立を解消しながら、そこに住む人たちは独自の「台湾アイデンティティ」を作り上げていきます

 

 

 

 

 台湾アイデンティティやヒマワリ学生運動についての記述あり。

今更、他人に聞けない「台湾」って何??

本稿に入る前に、断っておくべき事があります。

本稿で出てくる「シナ」には差別的なニュアンスはありません。あくまで現行の中華人民共和国の主権が及ぶ範囲の「地名」として使います。

 

本稿の「台湾」は「中華民国台湾」の主権範囲の「地名」です。

 

”中国”はあくまで1911年以降の領域国民国家として「シナ大陸」で始まった近代国家です

 

シナ大陸の「中華民国」と「中華人民共和国」はおなじ中国ですが、後者を中国国内の慣習に従い「新中国」とします。

 

「中華圏」を、主に漢字を使い「シナ大陸発祥の文明」を共有している範囲の事であり、 「中華人民共和国」・「中華民国台湾」・「中華人民共和国特別行政区香港」・「中華人民共和国特別行政区澳門」を包括する概念とします。

 

 

はじめに

 

 民進党議員の蓮舫さんに二重国籍疑惑がある事が報じられました。

news.yahoo.co.jp

 

この問題ですが、明らかに「新中国」と「中華民国台湾」と「日本国」をめぐる歴史と国際関係が関わっています。そこで、本稿では今更聞けない、新中国と中華民国台湾に関する問題について、僕なりに説明します。

 

全ての始まりは「台湾の植民地化」

 

 事の始まりは、清朝の統治範囲だった台湾が1895年の下関条約で日本に割譲され、大日本帝国の主権領域に組み込まれた事から始まります。台湾が日本の主権領域になったことで、そこに住んでいた人々は日本国民になり、日本国民としての自我意識を備えるような教育が施されます皇民化政策という言葉で説明されますね。そうして、台湾は日本の敗戦の1945年まで日本の一地域でした。

 

f:id:syuturumu:20160911233303j:plain  スミソニアン航空博物館に展示されていたポスター

 

 

 一方、その間にシナで起きていた事を確認しましょう。シナ大陸を支配していた清朝ですが、アヘン戦争をきっかけに香港を割譲され、西欧列強に分割植民地支配されます。そんな状況を変えようと、中国国民党(1894年にシナで結党、1919年に現在の国民党となる)や中国共産党1921年)が結党されます。そんな中、孫文が立ち上がり、国民党を主に率いて革命を成功させます。1911年に革命が起こり、清朝が倒れ、中華民国が1912年に建国され、シナ大陸に中国が生まれます

 しかし、その国家運営は安定せず、各地に軍閥が割拠し、さらには西欧列強や日本と闘わなければなりませんでした。なので、国民党と共産党は一致団結して、第二次世界大戦を戦い抜き1945年に終戦を迎えます。

 

ここまではまだ、台湾は日本の領土です。問題はココから終戦直後からこじれ始めます。

 

 

終わらない戦争ー”チュウゴク”の分裂ー

 

 1945年に一応は戦争が終わりました。そして、戦争の終結に伴い、領土を戦前の状態に戻す作業が始まります。サンフランシスコ平和条約日華平和条約で、台湾は日本のモノではなくなり、中国に返されます。現時点の中国はまだ「中華民国」です。

 しかし、中国では、国民党と共産党の内戦が終戦直後から始まります。そして1949年中華人民共和国が建国され、新中国になります。そして内戦に負けた国民党は、台湾に逃げ、中華民国を台湾で続ける事になります。これが、今にまで続く

 

中華人民共和国中華民国台湾の対立の基本中の基本です。

 

終戦後、世界は冷戦構造になっていきます。

 

社会主義国は基本的に自由主義国を国として認めず

自由主義国家も社会主義国国として認めませんでした。

 

 

こうした情勢の中で、新中国と中華民国台湾はお互いを以下のように批判し合います。

 

 

中華人民共和国は国ではく共産主義のゴロツキが支配する集団の名前である。

中華民国台湾こそが正統な中国である。

 

台湾は国民党に不当に占拠されている、中華民国台湾は西側諸国が支援している武装集団で、中国を分裂させようとしている

 

 

 

 日本は自由主義陣営の国なので、中華民国台湾を正統な中国として扱い、新中国を国家として扱っていませんでした。しかし、冷戦の終結で、中華人民共和国が国家承認され日本と国交を結ぶ事になり、中華民国台湾は国家として扱われなくなりました。外務省の公式HPでも、中華民国台湾は”地域”のカテゴリーになっています。

 

 

今回は主に、日中台の外交関係や歴史に焦点を当てました。更に台湾をめぐる問題は、台湾内部のアイデンティティの多様性にもよります。それがまた事態を複雑化させています。

 

台湾を理解する書籍は以下のようなものがあります。参考にしてみてください。

 

 

 

 

台湾を知るための60章 (エリア・スタディーズ147)

台湾を知るための60章 (エリア・スタディーズ147)

 

 

 

 

台湾とは何か (ちくま新書)

台湾とは何か (ちくま新書)

 

 

 

流

 

 

 

 

 

 

 

新・新東洋事情 (文春文庫)

新・新東洋事情 (文春文庫)

 

 

この本の中には元台湾総統李登輝氏のインタビューが収録されており、インタビュアーと李登輝氏が双方とも台湾を中国と呼称している。

 

 

中国とアフリカ 「ネオ植民地主義」か「非西欧によるアフリカ独立の支援」か (その2)

(その1)では、主に中華人民共和国建国直後から改革開放の直前期までの「中国とアフリカ関係」をみました。

syuturumu.hatenablog.com

 

 

今回は、改革開放後、90年代の末から2000年代の「中国とアフリカの関係」を追っていきます。

 

 

 

新時代の幕開け

 朱鎔基首相江沢民国家主席95年と96年にアフリカを訪問し、政府の新しいアジェンンダを明らかにしました。アフリカ連合本部で江沢民は「中国・アフリカ協力フォーラム」の創設を提案し、6年間の準備期間を経て2006年に北京で発足しました。その後、このフォーラムでは、アフリカへの援助、アフリカからの留学生の受け入れ等々が提唱され、一部は着実に実行され、中国とアフリカの関係はとても良好になります。

 また、2006年胡錦濤国家主席アフリカ諸国を歴訪します。温家宝首相はこのとき、中国・アフリカ間の貿易を2010年までに倍増させると表明しました。ほかにも中国は、3年間のアフリカ支援倍増、中国企業のアフリカ投資促進を目的とする50億ドル規模の「中国アフリカ開発基金」を設立。後発発展途上国から中国への無関税品目を190から440以上へ拡大すること、今後3年間で借款30億ドルとバイヤーズ・クレジット20億ドルを給与すること、05年以前に返済期限を迎えた無利子債務の帳消し、今後3年間でアフリカ人専門家1万5000人に研修を行うこと、中国人農業専門家100人のアフリカ派遣、30の病院建設、100の学校建設、中国政府奨学金アフリカ人学生枠の4000名への倍増を約束しました。

 会議中にはエジプトのアルミ工場建設、ザンビアの銅開発プロジェクト、南アフリカの鉱山開発をはじめとする大規模契約が結ばれました。その後これらの目標は実現します。

 貿易も、95年に50億ドル未満だったのが、2000年~2008年の間に10億6000万から1068億4000万ドルへと10倍に拡大2010年には1270億ドルに達します。貿易拡大は主にアフリカの潤沢な原油や鉱物の備蓄によります。石油企業の輸出が、アフリカの対中輸出の実に8割を占めます(アンゴラだけで中国の原油輸入の37%をまかなっている)。サハラ以南のアフリカでは2005年から2010年の間に中国の対外投資先の13.8%を占め、欧米を上回りました。2005年~07年の3年間、世界銀行の対アフリカ支援・融資は174億ドルにのぼりましたが、中国輸出入銀行の融資は160億ドル近いと推定されます。

 貿易が増えれば、自ずと人の移動も活発化し、 アフリカ在住の人の割合も急増しています。2001年には推定13万7000人だったが、07年には40万人以上に増えました。しかし、実際にはこの数を大きく上回るといわれています。現在、アフリカ在住の中国人は50万人以上と言われています。2011年のリビア内戦に際し、中国政府がリビアに3万5000人の自国民がいる事を明らかにしました。

 現在進行中の中国人アフリカ移民は19世紀後半や1950~60のモノとは大きく異なります。特徴としてえ移住者の出身地が中国全土に行きわたり、個人の背景も様々です。中国の不自由さに嘆き、アフリカでのチャンスを夢見て、アフリカで新しいビジネスを立ち上げ、一旗揚げようとしている人も多数います。そして、それが口コミなどで広がり、また人を呼びます※。そのため多くが定住の意思を持っている事が挙げられます。ナミビアのオシカンゴでは1999年に初の中国系商店がオープンし、その数は2004年には22店、06年には75店にのぼりました

 

 

支援・平和維持活動

 

 中国は開発援助の約束も着実に実行しています。マラリア対策や公共衛生分野、高等教育、農業支援などにおいては、称賛できます。また、アフリカでは900件の対外援助を完了し、鉄道2233キロを敷設。高速道路3391キロを整備し、42の競技場と54の病院を建設し、中国の医療保健従事者1万8000人や技術者35万人を派遣し、様々な分野のアフリカ人3万人強を訓練し、公的資金からアフリカの学生に3万4000件の奨学金を提供してきました。これは「豊かになるには、まず道路を作れ」という中国の開放政策直後の考えをそのままアフリカに応用したと考えられます。因みにこの言葉には続きがあり「子供を産む代わりに樹を植えろ」と続きます。

 他にもアフリカにおける中国の存在を示すものとして、PKO参加人数の増加があります。2002年には中国人PKO要員は全世界で110名しかいませんでしたが、06年には1271名に増えました。その内、80%がアフリカへの派遣です2009年以降は、ソマリア対策でも重要な役割を果たすようになりました。全体の拠出金も増えています。

 

 

 

中国のアフリカへの貢献

 これまでの所、中国がアフリカにもたらした、プラス効果は非常に大きいです。

 

第一に、アフリカ諸国の多くが資源輸出国であり、中国は、その資源の需要と価格を引き上げた点に大きく貢献しています。1990年~2001年のサハラ以南アフリカ諸国GDP伸び率は平均で2,6%だった。これに対して2001年から04年は4.4%05年から06年は5%から6%07年は7%と上昇を続け、10年は4.7%を記録しました。1998年以来の世界的消費拡大は中国需要によるモノが大きいため、アフリカ諸国GDP拡大への中国への貢献はやはり大きく、無視できません。加えて低価格の中国製のアパレルや電化製品などの製品が手に入りやすくなったため、アフリカの一般消費者の生活環境の改善にも一定の影響をもたらしました。

 

第二に、中国という新たな貿易・援助・投資相手国を得て、アフリカ諸国に競争環境が生まれ、欧米諸国やIMF世界銀行に頼るばかりではなくなりました。2007年アンゴラIMFとの融資協議を取りやめ、中国の融資を受け入れました。

 

第三に中国の援助は欧米諸国・機関の援助と比べて付帯条件が少ないです。IMF世界銀行は欧米流のイデオロギーにもとづいて貿易自由化、民営化、民主化、人権問題の解消、小さな政府を要求します。しかし、中国は良くも悪くもこれらの条件を課さずに、アフリカを支援します。2006年4月ナイジェリアの国会演説で胡錦濤「中国は、アフリカ諸国が独立と主権を守り、各国の国情に応じて発展経路を選択するという願いを断固として支持する」と述べました。

 

 

今回は、2000年代前半の中国のアフリカへの関与を主に引用しました。次回は、中国のアフリカ関与による様々なトラブルやマイナス面を、中国人のミクロな視点も交えて纏めてみたいと思います。

 

 

今回、引用したのは以下の書籍です。

 

 

中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える (朝日選書)

中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える (朝日選書)

 

 P149~P150  P269

 

 

 

 

中国が世界をリードするとき・下: 西洋世界の終焉と新たなグローバル秩序の始まり

中国が世界をリードするとき・下: 西洋世界の終焉と新たなグローバル秩序の始まり

 

 P79~94

 

 

 

※下記からは一部参考にしました

 

 

中国第二の大陸 アフリカ:一〇〇万の移民が築く新たな帝国

中国第二の大陸 アフリカ:一〇〇万の移民が築く新たな帝国

 

 

 

中国のPKOに関しては以下でも参考にできます。

 

外交 Vol. 10 | 外交WEB に掲載されている文章が以下から読めます。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol10/pdfs/gaikou_vol10_10.pdf