北東アジアを考えよう!

北東アジア(日中韓台朝)をメインに、ユーラシアを包括的に捉えよう。 

成昆鉄道とタンザン鉄道 東アジアとアフリカの技術転移

中国・アフリカ友好の象徴

 

  中国とアフリカの関係を勉強していると必ずといっていいほど「タンザン鉄道」の存在が言及されます。タンザン鉄道とは1970年から1976年にかけて中国がタンザニアザンビアの間に敷いた鉄道です。

 

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あの時代、中国も文革期で決して豊かな国ではありませんでした。それに加え国際社会での立場も厳しいモノでした。ではなぜそんな国があの時代にアフリカ援助を行ったのか?そもそも援助できるだけの技術水準があったのか?今回の記事はそんな疑問をタンザン鉄道にかんする学術研究論文を引用して解き明かしたいと思います。

 

 

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中国の鉄道史

 

 中国の鉄道技術の発展には意外な歴史があります。西欧列強などに反植民地化される過程で様々な鉄道技術が伝わっています。第二次世界大戦終戦し中国が建国され朝鮮戦争を経たあたりから中国はソ連から技術的な援助をうけます。1952年に中国建国初の鉄道「成渝铁路」が開通されます。この鉄道は四川省成都重慶を結ぶ鉄道です。その後、中国は着々と鉄道を整備していきます。1960年代後半に入り、中国は西南”三銭”に次々と鉄道を整備していきます。その結果、1970年成都昆明を結ぶ完全中国国産の成昆鉄道が開通されます。

 これらの経験があったので中国は「タンザン鉄道」を建設できたのです!

 

※引用

成昆鉄道bot@圧倒的三線力 on Twitter: "「…成昆線は中国が自ら設計し建設した…自らの技術力を用いた第一本目の非電化鉄道であり…新中国の大規模な鉄道建設の中で…我が国の鉄道従事者は豊富な経験を蓄積し厳しい試練に耐えられるよう鍛えられた…」(『聊城大學學報社會科學版』2007年第1期「對中國援助坦贊鐵路的歷史考察」)"

 

 

 

 

成昆鉄道とタンザン鉄道

 

 事実としてタンザン鉄道には成昆鉄道の建設に関わった人員が多数参加したようです。タンザン鉄道建設への人員選抜では成昆鉄道建設に関わった第二鉄路局のスタッフがかなり選抜されたようで、合計204人の成昆鉄道に関わった人員がタンザン鉄道建設にも派遣されました。その他にも朝鮮戦争第三鉄路局の人員も参加しました。つまり成昆鉄道とタンザン鉄道は兄弟のような関係なのです。

 

 

タンザン鉄道珍道中

 

 このタンザン鉄道建設の過程で中国人スタッフは様々な経験を積みます。彼らは広州から香港に入り東南アジアを経てアフリカへ旅立ちます。香港やシンガポールを見て中国本土との経済格差を実感したりしました。そのシンガポールではソ連の船籍と対峙し緊張する場面に遭遇したりもして、世界情勢の中の中国の位置を感じさせたりしたようです。

 またアフリカでいざ鉄道修理に取り掛かろうとするときにも様々な困難と挑戦がありました。中国人スタッフはこのアフリカ鉄道援助珍道中のさなかイギリスや日本の機械を修理したりしながら様々な技術的経験を積んだようです。

 

 

これらの事から先進国⇔中国⇔アフリカで技術転移が発生した事が考えられないでしょうか。

 

 

引用論文

赶在时间的前面:坦赞铁路修建期间的施工和现代化问题

蒙洁梅 (Jamie Monson)

美国卡尔顿大学(Carleton Coolege)

全克林 译 

P56-57  P66

 

 

 

余談

先進国から中国への技術転移に関して。

 

過去NHKでも放送された「レッドチルドレン」の存在が参考になると思います。

毛沢東の理想に共感した欧州人などが中国に来て都市建設などに貢献した事が語られます。


洋レッドチルドレン-中国・革命の後継者たち

 

日本語で読めるタンザン鉄道に関する文章は以下の書籍に収録

 

フロンティアと国際社会の中国文化大革命 ― いまなお中国と世界を呪縛する50年前の歴史

フロンティアと国際社会の中国文化大革命 ― いまなお中国と世界を呪縛する50年前の歴史

  • 作者: 楊海英、谷川真一、ハラバル、ハスチムガ、劉燕子、,馬場公彦、ウスビ・サコ、福岡愛子、上利博規、細谷広美,楊海英(YANG Haiying)
  • 出版社/メーカー: 集広舎
  • 発売日: 2016/11/19
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 P189 第7章

文化大革命期における中国援助とアフリカ外交の役割

ウスビ・サコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偉大なるチョソンの威光はアフリカへ!!!

北朝鮮の緻密な世界戦略

 

 北朝鮮と聞くと大半の日本人は「閉ざされた国」「世界から隔絶された収容所国家」というイメージを持つと思います。ですが実際は社会主義陣営の国家などとは国交があります。以下は参考ですが北朝鮮の主要輸入国のデータです。

 

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https://atlas.media.mit.edu/en/profile/country/prk/

 

英語ウィキペディア北朝鮮の外交関係」

https://en.wikipedia.org/wiki/Foreign_relations_of_North_Korea 

 

 

 中国が主要な相手ではあるものの意外と様々な国と貿易をしている様子がうかがえます。

 

 

今回のテーマは北朝鮮がいかに「主体的」に動いたか、その中でアフリカや第三世界とどのように関係を構築したか?その一端を覗きたいと思います。

 

 

中国から逃げた北朝鮮

 

  中国とソ連の関係が悪化し本格的な武力衝突に発展したタイミングで北朝鮮は独自の外交を方針を模索し始めました。まさに“主体”的に動いたのです。

 1969年。中国とソ連の間で国境紛争が発生した年、アフリカのマリに最初の北朝鮮イデオロギー思想である主体思想(チュチェ)思想研究グループが生まれます。その後、70年代にかけてチュチェ思想研究の組織はアジアとアフリカで増え続け70年代末には800以上の研究組織が立ち上がります。この70年代は中国にとって対米関係の修復とイデオロギーの調整のタイミングです。これもまた北朝鮮が独自の対外政策に向く大きな原因になります。

 

 

 

第三世界に進出する北朝鮮

 

  中国とアメリカの関係が改善し改革開放にいたる過程で中国はイデオロギーの調整を行い、「革命の輸出」が下火になっていきます。それと反比例するかのように北朝鮮は積極的に第三世界にアプローチしていきます。1974年、金日成平壌市内で以下のように語ります。

 

「今日、世界人民がチュチェ思想の道に沿って前進する事は、阻むことのできない時代の流れになっている。(中略)アジア、アフリカ、ラテンアメリ諸国および世界のすべての国の人民は、小国や貧しい国を問わず、緊密に団結し、帝国主義者に息抜きの機会を与えず、至る所でそれに力強い打撃を与え、強大な圧力を加えることさえできれば、帝国主義を滅ぼし、革命の最終的勝利を勝ち取ることができる」。

 

 北朝鮮は中国の主導的影響力を振り切り様々なかたちで「第三世界の反米闘争」を支援していきます。ベトナムへの軍事支援、アンゴラ内戦への介入などなど。

 その過程でアフリカへの外交活動は一時期の中国をしのぐ勢いを見せました。70年代末までに北朝鮮はアフリカ諸国に1500人あまりの軍事顧問を派遣し、ほかに21のアフリカ諸国に3億ドル近くの経済援助を行いました。この成果か、ジンバブエで独立解放闘争を指導したムガベが最初に訪問したのは北朝鮮でした。

 

 

アフリカを対北朝鮮戦略のテコに! 

 

 日本外交的に北朝鮮は最大の脅威の一つです。ですが実質的にうまく関われていないのが実情です。北朝鮮は現在でもアフリカと関係があります。日本は対アフリカ外交を北朝鮮問題解決のテコにするべきだと思います。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

CNN

Statues and ammunition :North Korea's Africa Connections

https://edition.cnn.com/2017/10/22/africa/north-korea-africa/index.html

 

 

 

 

 

 

 

 

北朝鮮とアフリカの関係を考える参考

 

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東アフリカ、スワヒリ海岸地区の東アジア武術伝播の系譜

 

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 80年代はじめその中でザンジバルの兵士が北朝鮮から派遣された軍人から訓練を受けた。

 

 The Origins of North Korea-Vietnam solidarity: The Vietnam war and The DPRK

https://www.wilsoncenter.org/publication/the-origins-north-korea-vietnam-solidarity-the-vietnam-war-and-the-dprk

 

北朝鮮ベトナムの連帯の起源。ベトナム戦争北朝鮮

ウィルソン国際冷戦史研究センター

 

 

 

 

 

引用 書籍

 

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(下)

最後の「天朝」――毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮(下)

 

 P237-P238 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘッポコなソ連の第三世界戦略

ソ連第三世界戦略

 

 「中国と第三世界」を学んでいますと、その過程で色々な意外な歴史などを勉強する事になります。中国が第三世界へのアプローチを強化したきっかけとして「中国とソ連の関係悪化」があります。なので、ソ連に関する論文なども見る事もあります。ここでは、「ソ連第三世界戦略」に関する研究論文を翻訳編集してみたいと思います。

 

 

ソ連第三世界戦略は圧倒的不利な状況から始まった

 

 ソ連アメリカは冷戦期に世界覇権を争っていたと言われていますが、その一番最初はとてもお粗末なモノでした。ソ連が1955年から1957年に国連を通じて途上国に派遣したアジア・アフリカの専門家はわずか48名でした。同時期のアメリカの専門家は924名イギリスは1143名フランスは683名でした。また1959年にソ連が派遣した352名の専門家のうち三分の二が外国語を使えませんでした。それでもソ連第三世界に対して接近を試みます。初期のソ連の主な援助対象はアフガニスタンアラブ首長国連邦インドイランギニアスリランカキューバエチオピア、マリ、パキスタンでした。

 国内のアジア・アフリカ研究に関する機構も再編を行いました。それらの組織は当然ソ連共産党と密接なかかわりがあり、各国の左翼政党との関係構築に貢献する事になります。また、こうした研究機関の刊行物やメディア環境も整えられ、1961年の末ごろになると様々なアジア・アフリカ言語でプロパガンダを発信できるようになりました。ソ連世界革命を率いる国家として自身を宣伝しようとしていました。しかしアフリカ国家からは「工業化した白人帝国国家」つまり植民地国家と見られていたようです。終戦直後のアフリカは白人を一切、信用していなかったようです。

  こうした不信感はソ連で軍事訓練を受けていたアフリカ人の経験も相まって強化されます。ジョージアのトリビシでアフリカ人に対するヘイトクライムヘイトスピーチが記録されています。

 こうしたところに中国が入り込むスキがあったわけです!

 

 

中国の挑戦

 

 中国も建国の最初期からアジア・アフリカの国に援助を行っていました。そして中ソ関係の雲行きが怪しくなるにつれて、ソ連も中国のアジア・アフリカへの外交を注視し始めます。当時、中国は無利子貸し付けによる援助の方式をとっていました。中国は当時まだ世界最貧国で場合によってはレシピエントよりも生活の質が低い状況だったので、ソ連の専門家は警戒感もありつつイマイチ評価が定まらなかったようです。

 しかし、それもソ連のアフリカ大使館からの具体的な報告で評価が変わってきます。1962年1月RIAノーボスチの社員によるかなり「中国はアフリカで大使館や領事館、貿易団を通じ廉価毛沢東主義の宣伝冊子を流通させている」」という報告が上がりますこうした要旨の報告は1963年から1964年にかけて増加していきますアルジェリアを旅行したロシアの共産党機関紙ジャーナリストの報告でも、「中国のプロパガンダアルジェリアのいたるところで見られる。ソ連プロパガンダは書店でしか見らられない。しかもその書店の中央に置かれていたのは中国のプロパガンダ冊子だ」と報告されています。

 これらの積み立ての成果は今日では言うには及ばないと思います。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 

参考統計

 

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 ソ連社会主義陣営および発展途上国に対する援助総額

 

 

 

 

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 ソ連のアジア・アフリカにたいする自動車輸出総額

赤いアンダーラインがアフリカを意味する

 

 

 

 

 

 

 

その他、参考文献

 

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ソ連第三世界での成功と失敗。

 

 

 

※引用

 

冷戦国際史研究9 華東師範大学冷戦史研究センター

世界知識出版社

 

60年代苏联的发展中世界的政策与中国的挑战

杰里米·弗赖德曼(Jreremy Friedman)

美国普林斯顿大学(Princeton University) アメリプリンストン大学

www.readbooks.cc

中国の対外援助のルーツ

そもそも「対外援助」とは?

 

 このブログでは過去にも「中国のアフリカ支援」「中国の対外援助」といったテーマの記事を書いてきましたが、そもそも「対外援助」という概念について確認していない事に気付いてしまいました。そこでまずは「対外援助」というモノがどういう風に発生していったかを簡単に確認したいと思います。 



 

「対外援助」は非常に”ウチ”的な理由から

形成されていった

 

 「対外援助」はその発生と形成が異なるルートが何本か存在しています。以下はその代表的なモデルです。

 

フランスイギリスポスト植民地政策としての対外援助

アメリ第二次世界大戦時の連合国への戦争協力および戦後復興・反共産主義政策

 

 植民地が解体される過程で、国内の「植民地省」の人員が新設の「技術協力省」に移りその予算が「対外援助」になりました。しかし、植民地が解体されたからといって即座に人員を引きあげる事なども出来なかったので、実をいうと最初期の「対外援助」のうちの「技術協力予算」は旧植民地官吏に対する給与の支払いが主だったようです。

 アメリカの「対外援助」も非常にドメスティックな理由から形成されていきました。そのルーツは武器貸与法にあるとされます。この法律は武器以外の戦争遂行に必要な物資を総合的に援助するものでしたその後、終戦を迎えそれを継続していくか?が議論になりました。それがトルーマンドクトリンとなりマーシャルプランへと移っていきます。アメリカにはもう一つ、1954年に制定された農業貿易開発援助法という法律が「対外援助」のルーツとして存在しています。名称からも察せられると思いますが、この法律は「アメリカ産農産物の輸出市場の開拓と拡大」が目的にありました。

 「対外援助」や「開発援助」、「国際協力」といったモノの始まりは人権や自由を理念に掲げる欧米ですら非常にドメスティックなモノだったのです!では中国はどうか?というと当然中国も中国の国益、ドメスティックな事情から始まっています。

 

 

 

中国の対外援助のルーツ

 

 では中国の対外援助はいったいどこから始まっているか?といいますとその始まりは建国直後の50年代から言及する事ができます。中国の最初期の対外援助は1952年に成立した中国対外貿易が担っていました。またこの時期は朝鮮戦争が勃発し中国も参加します。1950年代の中国の援助の主なレシピエントは北朝鮮の他にもパキスタンベトナムカンボジア、モンゴル、ハンガリー東ドイツアルバニア、エジプト、アルジェリアキューバなどがあり、中国は援助を行っています。これらの国名と国の位置から、中国の最初期の対外援助は

 

社会主義陣営としての連携、共産党うしの連帯

地政学的な観点・安全保障のための軍事支援

 

 

が主な目的であった事がうかがえます。アフリカにもこの時点で援助は開始しているのですが、中国の対アフリカ援助が本格化し成果をあげるのはもう少し後の事なので、ここでは割愛します。

 

 ※主な目的で上の二点をあげましたが人道支援も行っています。日本も受けています

 

 

中国の対外援助の体系化と性質の変化

 

  1955年インドネシアバンドン会議が開催されます。ここでアジア・アフリカの被植民地国家どうしの連帯が謳われます。この事は中国の対外援助に大きな影響を与えます。それと同時に、冷戦の初期から中国とソ連はお互いに不信感をつのらせていたと言われています。この事も中国の「対外援助」の形成を考える上では見逃せません。中国の対外援助を担っていた対外貿易部1961年からはその役割を対外経貿聯絡総局という国務院直轄の組織に移ります。これにより全国の対外技術協力、対外貿易、そこに関わる財政の管理が一本化され、効率化されたと言われています。

 この頃は中国の対外安全保障が非常に厳しくなっている時期でした。1959年に中印紛争が勃発し1962年に入るとイリ事件(新疆ウイグル自治区からウイグル人の大量亡命事件)が発生し1969年に中ソでも国境紛争が発生します。

 この事から、中国の対外援助には「反ソ連」、「ソ連との競争」という性質が加わります。

 

※50年代末は周辺環境の悪化の他にも「大躍進政策」「人民公社」などの大量の餓死者を出した失策も無視できない。

 

 

 

 

参考書籍

 

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陈松川著  中国对外援助政策取向研究 (1950-2010)

清华大学出版社  2017年8月第一版   P57-85

www.zxhsd.com

 

 

経済大陸アフリカ (中公新書)

経済大陸アフリカ (中公新書)

 

 P154~159

 

 

 

中国の対アフリカ援助は日本のパクリだった!?!?

灯台下暗し

 中国の対外援助を論じるとどうも極端な意見に偏ってしまう傾向がありますよね。例えば「アフリカで中国は嫌われている」「東南アジアは親日だから中国を受け入れない」等々よく聞かれると思います。ある程度仕方ないかもしれません。日本は中国と領土問題を抱えています。それに、アフリカは日本から距離もあり、東南アジアは東南アジアで独特の政治力学があり、「中国の対外援助」を理解するには一筋縄ではいきません。

www.youtube.com

 

では「中国の対外援助」をどこから理解するべきか?

 

それに関して

ノルウェーの「ノルウェー発展途上国投資基金」という組織が、中国の対アフリカ支援に関して興味深い指摘をしていました。

https://www.norfund.no/what-we-do/

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このレポートによると、「中国の対アフリカ援助は日本の対外援助から学んだ」と指摘されています。

なので、「中国の対アフリカ援助」を理解するために、一端「日本人の日本人による日本の対外援助」に関する書籍を見てみてはどうでしょうか?日本人にしてみれば灯台下暗しという感じでしょうか?

 

 

日本の対外援助の始まりも経済協力・貿易が主体

 

 中国による対アフリカ援助に言及し日本を含めた開発援助に関して体系的かつ包括的にまとめた新書が中公新書から出版されています。筆者である平野克己氏は、在ジンバブエ日本大使館にて専門調査員などを経て現在はJETROの理事を務めている方です。

経済大陸アフリカ (中公新書)

経済大陸アフリカ (中公新書)

 

 

www.youtube.com

 

『経済大国アフリカ』の中で平野氏は、エジンバラ大学のケネス・キング氏による「中国の対アフリカ援助」に関する評価に言及しながら以下のように書いています。

 

エジンバラ大学のケネス・キングは「中国のアフリカ支援は西欧諸国による援助とはまったく対照的で、日本の初期の東南アジアなどに対する支援と比較可能である」といっている。発足した当時の日本の開発援助は通商産業省(現経済産業省)が所轄していた。開発援助を外交当局や専門省庁ではなく経済官庁が所轄するというのはめずらしく、当時の日本と現在の中国がそうだ。高度経済成長期をむかえようとしていた日本の開発途上国に対する「欲求」は、中国がいまアフリカに抱いているものとたいへん似ている。それをもし「不道徳」というのならば、中国においてもかつての日本においても、急速な経済成長に必然的に付随する不道徳であろう。それを是とするか非とするかはそれぞれの判断だが、日本人には中国の欲求を感得する歴史的記憶がのこっているはずだ。中国にかぎらずこれから新興国ドナーが登場してきて開発援助の様相を多様にしていくとき、その歴史的記憶は日本の知的遺産になるだろう。

 

中公新書2013年 1月25日初版

    2014年  4月25日3版

『経済大国アフリカ 資源、食糧問題から開発政策まで』P54~P55より引用

 

 

 

「中国の対アフリカ援助」やその他の「対外援助に問題がない」とは言いません。ですが、現代の中国の対アフリカ援助が日本の初期対東南アジア援助と類似点が存在しているのであれば、その問題を日本と中国でシェアする事も可能なのではないでしょうか?また、今後の「中国の対外援助」の行く末をある程度占う事も可能ではないでしょうか?

 

 

その他の参考書籍

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台湾で翻訳出版された書籍

 

ドイツ人の兄弟によるアフリカレポート。

兄が中国研究者、弟がアフリカ滞在歴10年以上のジャーナリスト。

 

本書の中ですでにインドや韓国などもアフリカでビジネスに乗り出している事が書かれている。

 

 

 

 

 

 

ノリンコについて。チャリンコではなくノリンコ

「ノリンコ」って知ってますか?

 

 いきなりですが「ノリンコ」って聞いた事ありますか?チャリンコではありません。中国で流行っているシェア自転車(シェアチャリ)ではなく「ノリンコ」です。この「ノリンコ」ある界隈では非常に有名な企業です。

 

このノリンコはNorincoと表記します。

 North Industries  Corporationの頭文字をつなげた名前です。

漢字名は中国北方工業有限公司と書きます。

 

この企業、漢字の字面だけでは分かりにくいですが、中国最大の軍事企業です。

 

中国の軍事力の膨張は様々なメディアで報じられています。それと同時に中国の軍需産業も成長しています。民間の企業も参入しています。

 

軍需産業でも世界をリードする中国「敵国」にも銃を売るhttps://forbesjapan.com/articles/detail/23856?n=1&e=17649

 

中国の防衛企業2社、実質世界トップテン入り - WSJ

https://jp.wsj.com/articles/SB12554609945154534602604581416780367401082

 

中国が軍需産業で存在感、タイと軍事工場建設か―英メディア|レコードチャイナ

 

 

中国十大軍事企業

 

 中国のネットで検索しますと、中国十大軍事企業というモノが出てきます。

 

  1. 中国核工業集団有限公司
  2. 中国核工業建設集団有限公司
  3. 中国航天科技集団有限公司
  4. 中国航天科工集団有限公司
  5. 中国航空工業第一集団有限公司
  6. 中国航空工業第二集団有限公司
  7. 中国船舶工業集団有限公司
  8. 中国船舶重工業集団公司
  9. 中国兵器工業集団有限公司
  10. 中国兵器装備集団有限公司

 

「兵器」とか「核」という漢字があると、軍需企業だとすぐ分かると思いますが、他の会社はパっと見では軍需産業とは想像つかないと思います。

 

ますます分かりづらい中国の軍需産業

 

www.recordchina.co.jp

 

 最近では中国の軍需産業に民間企業も参入してきています。また上記に上げた軍需企業を見ると必ずしも「軍事産業」のみを担っているわけではありません。「中国だし軍需企業は国有の共産党の真っ赤っかな企業でしょ?」なんてイメージを持つともしかしたら、知らない間に日本の主要な電子部品が中国の軍需産業によってまかなわれているなんて未来がくるかもしれません(もしかして・・・すでに??)

 

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ノリンコのHPのトップページ

第一印象ではインフラ企業かと思うが防务产品(防務産品)の文字が

 

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中国航天科工集団有限公司のHPより

軍民の融合。IOTとスマート製造によるイノベーションの促進。製造業とサービス業の接続などを謳う

 

 

 

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中国兵器工業集団有限公司の会社紹介の部分より引用。

「一帯一路」建設と軍民融合の発展の主力

経済の高効率化 工業民品や金融な流通などの調和のとれた発展

 

 

 

  中国の5G通信網インフラが安全保障の観点から欧米先進国で不採用になっているというニュースがありましたが、中国の軍民融合の観点から見ると当然の事だと思います。また彼らは「一帯一路」にイニシアティブという単語をつけて対外イメージの払しょくに努めていますが軍が関わっているので、無理な話だと思います。

  今後、これらの企業の名前は要チェックです。

 

 

 

 

『枢纽 3000年的中国』を読む

新たなる歴史叙述への挑戦

 

  今年の一月に出版され中国国内で話題になっている本があります。それが、

『枢纽 3000年的中国』です。

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この本の題を日本語に訳すると『歴史のハブターミナル 3000年の中国史』になると思います。

  タイトルの「3000年の中国史」という部分を見て、感性の良い方はすでに何か感じれたと思います。中国史は一応、現時点の常識では「5000年の歴史」と言われています。日本ではCMの影響で「4000年の歴史」がポピュラーになっています。この本の筆者の施展(shizhan)さんは今までとは異なる歴史叙述に挑戦しようとしている事がタイトルからも何となく伺えると思います。

 

baike.baidu.com

 

  筆者の施展さんは純粋な歴史学者というわけではありません。実をいうと一番最初の学位は北京航空航天大学管理学部の工学学士からキャリアを始めています。この大学は名前からも察せると思いますが、理系大学で中国の宇宙飛行士を育成する学校です。その後、中国社会科学院北京大学ソルボンヌ大学フランス革命研究所とキャリアを積みます。本書でも、筆者の理系チックな思考法や科学知識が導入されています。本書の大きな特徴の一つとして、

 

文系・理系を股にかけたリベラルアーツ、超域文化科学的視点を用いた歴史叙述です。

 

 

 

漢民族中心史観・中原中心史観を超えろ!

 

  習近平政権以降、愛国主義が高まっています。漢服を復興させる運動や国学ブームなどです。確かにそれらは「中国を構成する大事な要素」ですがそれらはあくまで「中国の文化の一部」です。「中華民族の偉大なる復興」は実質的に「大漢民族中心主義」に履き違えられました。そして、その文明の中心である中原から中原中心史観とも言われています。

  漢民族中心史観だとどうしても遊牧民は一方的に「敵」になります。中国の愛国の代表、南宋岳飛が残した「満江紅」はそれが色濃く反映されています。

 
怒发(髪)冲冠,凭栏(阑)处、潇潇雨歇。抬望眼,仰天长啸,壮怀激烈。三十功名尘与土
八千里路云和月。莫等闲、白了少年头,空悲切!
靖康耻,犹未雪。臣子恨,何时灭!驾长车,踏破贺兰山缺。壮志饥餐胡虏肉笑谈渴饮匈奴。待从头、收拾旧山河,朝天阙

 

赤字の部分、中々グロテスクです

 

 

 

 

しかし、筆者はVTR6分20秒あたりからこう主張します。

国史とはほぼ中原史である。我々の中高の歴史教科書に中原以外の少数民族はあまり出てこない。出てくる時は悪人として出てくる」そしてこうも続けます

 

辺境や少数民族は中国史としてではなくソトの存在である。しかし、そうであるなら現在、中国領域内の新疆やチベットを統治する資格は中国にあるのか?

 

現在の中国ではなかなかセンシティブな議論だと思います。

 

 

以下はスクリプトです。とビリビリ動画です

www.sohu.com

 

https://www.bilibili.com/video/av23443194/

 

ちなみに筆者の主張を要約すると以下のようになると思います。

中原帝国の安定統治は草原帝国の安定統治あっての事であり、ユーラシア大陸は生態システム的多元秩序によって歴史を紡いできた

 

 

※こちらのVTR 「辺境から中国を発見する」は『枢纽 3000年的中国』の前半部分の議論のコアになります

 

 

 

中国の経済発展は西側との相互関係によってもたらされた

 

 

  本書はさらに現代の中国の経済発展に関する議論までカヴァーします。中国の発展は「安価な労働力」「膨大な人口と市場」と説明されることが多いですが、筆者はそれに少しばかり異を唱えます。

  筆者は、西側による様々な技術革新がちょうど中国の開放期と重なり、それが同時に中国に流入した事もまた大きな要因の一つと主張します。近代化にはあらゆる分野(生産・物流・管理・販売etc)の効率化が必要になります。その効率化を推し進めたのは西側の技術革新です。

  

※インターネットの中国への流入は日本とさほど大きな差はありません。この部分は

山谷剛史著『中国のインターネット史』を参考に。

 

 

筆者は近現代以降もまた、中国の発展は西側先進国とその周辺にいる、アジア四小龍などの相互の働きによる独特なサークルシステム(双循環システム的秩序)によるものと説きます。

 

 

 

本書は非常にボリュームのある本です。しかしGゼロワールドを生きる私たちにある視座と勇気を与えるでしょう。ぜひ挑戦してみてください。

 

 

下記のVTRは『枢纽 3000年的中国』の予習ができるVTRです。

本を読む時間のない方は以下だけでも見てみてください。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

本書様々な専門家からの書評です


www.sohu.com